如仰先日者、初而御参府候処ニ、於御館不得寸隙候条、爾而御物語不申、背本意存候、内々其已後可申処取乱候間、相過候、無音口惜候、仍従御舎兄越国之模様御注進候、可然子細共候、猶被聞召届候而、御注■様、御肝煎簡要候、然者今川殿以駿遠両国之衆、来廿六日為氏康御加勢御出張候、御屋形様茂近日出馬候条、定当秋一途可有之候間、可為御本意候、委曲於御陣中可申承候、恐々謹言、
七月廿二日
甘利 昌忠(花押)
浦野新八郎殿
御報
→戦国遺文 今川氏編1842「甘利昌忠書状写」(国立公文書館所蔵新編会津風土記六所収浦野勝平所蔵文書)
戦国遺文武田氏編では永禄6年とするが、今川氏編では5年と比定。
先日仰せになったように、初めてご参府なさったところに、お館では時間がなかったので、お話ができませんでした。本意ではありません。内々にそれ以降申し上げるべきでしたが取り紛れたまま日が過ぎてしまい、悔やむばかりです。さてあなたの兄上より越後国の状況がご報告されました。しかるべき事情はあるでしょうが、さらにお聞き届けになってご報告なさるよう、肝煎りすることが大切です。ということで、今川殿は駿河・遠江両国の部隊を、来る26日に氏康のために加勢として派遣します。お屋形様も近日出馬なさいますので、恐らくこの秋は専念するでしょう。ですからご本意を達するでしょう。詳しくはご陣中において申しましょう。