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近藤綱秀、長尾新五郎に、面鳥の地に関する指示を下す

今般佐竹出張方ゝ御拘之地御堅固之御仕置、都鄙御覧弥増進、尚以公私御頼敷存候、内ゝ敵退散、翌日右之意趣雖可申宣候、堺目莵角取籠候条、至于今日遅ゝ、意外之至候、一、佐野堺ヨリ承届候分者、必来春二月者義重出張、面鳥之地ニ可付是非由、佐野与誓約有之、退散之由堅申候、但此度之手持悪候間、当意之手成ニ候歟、何様此説慥ニ候、一、面鳥之地如及承者、地利小ク候之由風聞候、為如何候而も、小地者火事、又飛脚之住行も大切候間、一、曲輪も又被為取出、御徳分之所不可過御塩味候、世間唱之所ヲ、不顧斟酌申達候、又吾等ニも、被覃聞召透御意見蒙仰候者、過分ニ可存候、恐ゝ謹言、

極月廿一日

 近藤出羽守 綱秀(花押)

新五郎殿 参御宿所

→戦国遺文 後北条氏編2606「近藤綱秀書状」(館山市立博物館所蔵文書)

天正11年に比定。

 現在佐竹方が出撃しており方々で味方の拠点を堅固に処置し、都との連絡もますます頻繁になり、さらに公私頼もしく思っています。内々に敵が退散し、翌日右の意趣申し述べるとはいえ、境目はとかく取り込めるので、今日に至るも遅々としているのは意外の至りです。一、佐野の境より聞いた分では、来春2月に必ず義重が出撃し面鳥の地の決着をつけようと佐野と誓約しており、(後北条方を)退散させると強く言っている。但しこの度は手持ちが悪かったので手近な召集で済ませたのではないか、とのこと。この説は確かな事です。一、面鳥の地は聞き及んだように地利も小さいと聞いています。小さい場所は火の用心や飛脚の通行も大切ですから、一、曲輪もまた拡張なされませ。ご徳分のところ、考え過ぎということはありません。世間の意見を省みず考慮して指示します。また、私にもお聞きになった通りのご意見を仰せいただければ、過分に存じます。

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