以鈴木申達候処、朝弥太郎被指添、始中終御懇答、殊七月可被入御輿儀、猶以御儀定之旨被顕御状候間、愚拙歓喜何事と可遂之候哉、心腹難尽筆紙候、就中五ケ条蒙仰候、一ゝゝ御返答申述候、然ニ沼田・吾妻急速可渡給由、弥御真実之模様、氏直大慶、於拙者も忝候、委曲使を指添申入候間、具御返答待入候、恐ゝ謹言、
六月十一日
氏政(花押)
徳川殿
→戦国遺文 後北条氏編2547「北条氏政書状写」(古案敷写)
天正11年に比定。
鈴木をもって申し上げましたところ、朝比奈弥太郎を指し添えられて最初から最後まで丁寧にご回答いただきました。特に7月にお輿入れとのこと、さらにご決定を書面で頂戴できましたので、愚拙の歓喜、これに優るものはありましょうか。心も気持ちも筆紙に尽くしがたい事です。とりわけ5箇条の仰せを受けまして、一つ一つご返答いたしました。そうしたところ、沼田・吾妻を急ぎお渡しいただけるとのこと。ますます心のこもったことで、氏直も大慶です。拙者においてもかたじけないことです。詳細は使者を指し添えて申し入れますので、つぶさなご返答をお待ちします。