今度不慮之造説出来由候、余無心元間、令啓候、抑薩埵陣之内、及数度於諸口戦功走廻、難尽紙上候、其上小幡三河守・同長根両人を引付、不浅忠信処、証據も証文も無之義、浄法寺申出歟、誠非可取上候、無証文而加様之義申懸付者、誰有而安隠可遂味方哉、殊更其方老母鉢形へ指越、本城・中城ニ此方人数指置由候、一点疑心無之候、尚以其方無越度致給者、中城・本城新太郎人数可指置義専一候、浄法寺ハ無証據義申出間、可払当方候、恐ゝ謹言、

七月朔日

 氏康(花押)

安保左衛門尉殿

→戦国遺文 後北条氏編1271「北条氏康書状」(埼玉県立文書館所蔵安保文書)

永禄12年に比定。

 この度思いがけない雑説が出てきたとのこと。あまりに心許ないので、ご連絡しました。そもそも薩埵の陣では数度にわたり諸口で戦功に活躍したことは筆舌に尽くしがたいものです。その上、小幡三河守と小幡長根の両名を引き抜いたのは忠信浅からぬところを、証拠も証文もないことを浄法寺が申し出たものでしょうか。本当に取り扱ってはならないことです。証文がなくてこのようなことを訴えるのでは、誰であっても安穏と味方になってくれるでしょうか。とくにあなたの老母が鉢形へ行き、本城と中城へこちらの部隊を配置しています。1点の疑心もありません。さらに、あなたに落ち度がないと判れば、中城と本城は新太郎の部隊を配備するのが大切でしょう。浄法寺は証拠もなく訴え出たのですから、当家へは出入り禁止とするでしょう。

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