拾人 鉄炮衆
此御扶持給夫銭
拾弐貫文 申八月ヨリ酉七月迄御扶持十二ヶ月分
拾三貫三百卅文 申歳秋夫銭
此外酉春夫銭除之
六十壱貫三百四十文 御給
已上 八十六貫六百七十文
此内
拾五貫文
拾たん 上紬
拾三貫文
拾たん 中紬
已上 弐拾八貫文
残而
五拾八貫六百七十文 都筑前より可出
以上
右、無相違可請取之者也、仍如件、
甲申
霜月十七日
(虎朱印)
宇津木下総守殿
→小田原市史「後北条家虎朱印状」(大阪城天守閣所蔵宇津木文書)
1584(天正12)年に比定。
鉄炮衆が10名。この給与費用として、12貫文(申年8月から酉年七月までの12ヶ月分)・13貫330文(申年秋の費用)、このほかに酉年春の費用は除外して61貫340文を計上。都合86貫670文となる。このうち、15貫文は上紬10反・13貫文は中紬10反、都合28貫文となる。残余の58貫670文は都筑から支給する。以上相違なく受け取るように。