宛行知行分之事
一参州大崎郷之事 一遠州小山・見取段銭
四百二貫文之事
一弐百貫文 段銭、但前々堀越役知行分内也、
一弐百貫文 宇苅郷年貢之内、但米方者見付市升壱斗宛積也、
右、依牛久保在城所令扶助也、近年抽奉公之上、於三州出置為知行分改替、於遠州所扶助也、并加増分是又為新給恩永不可有相違、但於牛久保在城相止者、彼知行分内弐百貫文可上表、相残分者永領掌訖、殊以今度東三河雖及錯乱、彼地在城之段忠節也、弥以於抽軍功者、重可加扶助之状如件、
永禄七甲子年五月廿三日
上総介判
匂坂六右衛門尉殿
→静岡県史 資料編7「今川氏真判物写」(今川一族向坂家譜)
割り当てた知行について。一、三河国大崎郷のこと。一、遠江国小山・見取の段銭200貫文のこと。一、200貫文は段銭。但し以前堀越役の知行とした分に含む。一、200貫文は宇苅郷の年貢から。但し米の換算は見付の市升で計量する。
右は牛久保城番のための補助とする。近年は奉公にぬきんでているので、三河国で拠出した知行の代替として遠江国から補助を回す。同時に所領の加増分もまた新たな恩賞とすることは末永く相違ないだろう。但し牛久保城番を外れたら、あの知行から200貫文を返却し、残りを永く掌握するように。特にこの度三河国が混乱となったのにも関らずあの地に在城したことは忠節である。ますます軍功にぬきんでるなら重ねて補助を加えるだろう。