去五月四日夜宇利調儀之刻、城中江最前乗入鑓合致励罷退云々、甚以神妙也、弥可抽忠功之状如件、

永禄四年 十月八日

 氏真(花押)

朝比奈助十郎殿

→戦国遺文 今川氏編1755「今川氏真感状」(朝比奈文書)

 去る5月4日夜に宇利へ侵攻した際に、城中へ真っ先に乗り入れて槍を合わせ(軍を)励まして退いたという。本当に神妙である。ますます忠功にぬきんでるように。

去九日、岡崎人数相動之処、及一戦即切崩、随分之者八人被討捕之由、雖不始候、無比類動祝着候、猶各可申候、恐々謹言、

八月十二日

 氏真(花押)

鵜殿藤大郎殿

→戦国遺文 今川氏編1734「今川氏真書状」(茨城県立歴史館所蔵関沢賢氏所蔵文書)

鵜殿藤太郎長照は永禄5年に戦死しているため、永禄4年に比定。

 去る9日、岡崎の軍が動いたところ、一戦に及び切り崩し、随分な身分の者8人を討ち取ったとのこと。最初のことではありませんが、比類ない活躍で祝着です。さらに各々から申すでしょう。