我流稗史

検証a43:行軍経路の想定

今川・織田の両軍勢がどのように移動したかは、当時の主要道路によって推測可能なので、とりまとめてみた。個別に立論する必要はあると思うが、まず前提となる地図を示してみよう。 実線が今川方、破線が織田方の移動経路となる。 まず 検証a43:行軍経路の想定

検証a40:三河給人の思惑

三河国において、今川氏がどのように給人を扱ってきたかは以下のエントリで考察してきた。 検証a25:三河給人の扱い1 牧野保成の場合 検証a26:三河給人の扱い2 松平親乗の場合 検証a32:三河給人の扱い3 奥平定勝の場 検証a40:三河給人の思惑

検証a37:今川義元文書分布

今川家文書分布の中から、義元のものだけで抽出した。 義元の場合、三河国への文書によって傾向が窺える。概観すると1550(天文19)年をピークとする山と、1556(弘治2)年の山とに分かれる。天文末年には三国同盟が成立して 検証a37:今川義元文書分布