括弧内が氏真。0.5でカウントしているのは連署。5月19日に義元が死去すると、大量の文書が氏真から発給される。代替わりという点もあるだろうが、その直前まで義元・氏真ともに文書数が低くなっていることから、その反動だとも考えられる。

氏真の発給総数は329.5で、義元死後すぐに大量発給し、その後は緩やかに下降し、永禄8年に年間28通前後で落ち着く。地域的な傾向はなく、義元は遠江で数が低かったが、そういった特徴はない。ただし、1563(永禄6)年以降は三河で文書発給が見られなくなる。

この2名の地位継承期と関連すると思われるが、弘治3年には義元が、永禄3年には氏真が発給数を飛躍的に上げている。この点は後で具体的な仮説とともに検討してみようと思う。

今川義元・氏真書状分布
駿河 遠江 三河 尾張 その他
弘治3年 11 6 16 1 1.5(0.5) 35.5(0.5)
永禄1年 4(7) 1(3) 17 4 1 27(10)
永禄2年 2(8) 3(4) 3 3 2 13(12)
永禄3年 1(30) 1(25) 0(22) 0 0(6) 2(83)
※5月19日以前 1(5) 1(2) 0 0 0(2) 2(9)
※5月20日以降 (25) (23) (22) (0) (4) (74)
永禄4年 (29) (19) (41) (0) (7) (96)
永禄5年 (14) (13) (38) (0) (1) (64)
永禄6年 (10) (15) (18) (0) (1) (44)
永禄7年 (6) (24) (2) (0) (2) (34)
永禄8年 (14) (10) (2) (0) (1) (27)
永禄9年 (10) (16) (0) (0) (0) (26)
永禄10年 (5) (17) (0) (0) (6) (28)
永禄11年 (10) (10) (0) (0) (2) (22)
190(143) 107(156) 165(123) 9 30.5(26.5) 609.5(329.5)
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