旧暦の19日に今川方は3回攻撃を仕掛けている。9月19日、10月19日、そして5月19日は少なくとも確定しているが、それ以外にも永禄2年5月頃から1年にわたり毎月19日に攻撃していた可能性も高いように見える。

では、なぜ19日なのか。

この頃の暦は太陰太陽暦で月齢と日付が近しい関係を持っている。9月・10月・5月それぞれ19日の月齢は18.5/18.0/17.9で殆ど同じだ。

月齢が近いということは潮位も似ている。朝の満潮は5時44分~6時19分に222~235センチ、昼に干潮があり11時43分~12時41分に10~97センチ、夜の満潮が17時14分~19時40分に228~241センチ。但し、それぞの前後である18日と20日もほぼ変わらないのと、月齢3.0前後の日付であっても潮位のサイクルはほぼ同じだ(この場合は月齢が大きく異なるが)。

このように考えると、毎月19日に攻撃を掛けるというのは織田方にとって有利な要素しかないことに気づく。

  1. 攻撃日を自由に決められるという攻撃側の最大利点を自ら放棄してくれている
  2. 11~12時に干潮となり、移動中の補給部隊を攻撃し易い
  3. 朝と夜に満月に近い月齢で満潮となるため、補給前後の鳴海・大高を夜間でも攻め易い

ここまで来ると、今川義元が「毎月19日に補給作戦を行なう」と決めたのは、織田方に有利な条件で敢えて隙を見せることにあり、それは挑発を目的とするとしか言いようがない。また、「3月19日」に過去行なわれた小豆坂合戦と同じ日取りを用いることで両家の因縁を想起させた可能性も考えられる。

データ

●大高への出陣日

月日 月齢 日出・日入 干満
11月28日 18.5 0638-1642 0619時235cm/1153時97cm/1731時228cm
12月27日 18 0659-1647 0618時222cm/1143時103cm/1714時214cm
6月22日 17.9 0438-1910 0015時116cm/0544時231cm/1241時10cm/1940時241cm

●11月28日(旧暦9月19日)の前後との比較

月日 月齢 日出・日入 干満
11月27日 17.5 0637-1642 0540時227cm/1119時94cm/1704時226cm/2335時14cm
11月28日 18.5 0638-1642 0619時235cm/1153時97cm/1731時228cm
11月29日 19.5 0639-1642 0010時8cm/0658時238cm/1227時102cm/1759時228cm

●月齢が裏になる日取りとの比較

月日 月齢 日出・日入 干満
11月28日 18.5 0638-1642 0619時235cm/1153時97cm/1731時228cm
12月12日 3 0650-1641 0627時233cm/1150時100cm/1720時226cm
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