今川氏真、上杉輝虎に自身の駿河侵攻に合わせて信濃出征を要望する
急度啓達、駿州へ家康依出張仁、令同心、即向敵城候、累年申通之処、此節ニ候歟、自家康定委細雖可被申候、別而自分御合力、此時相極候、早々信州表へ御出馬、所希候、猶権現堂可有才覚候、恐々謹言、 七月十九日 宗誾 上杉殿 →戦国 …
急度啓達、駿州へ家康依出張仁、令同心、即向敵城候、累年申通之処、此節ニ候歟、自家康定委細雖可被申候、別而自分御合力、此時相極候、早々信州表へ御出馬、所希候、猶権現堂可有才覚候、恐々謹言、 七月十九日 宗誾 上杉殿 →戦国 …
態申遣候、抑今般世上之風波、各ゝ是非之言上無之候、不審候、縦対氏康者、恨繁多候共、累代之忠信云、非見除可被申候、仍長尾景虎越河、至于豆相武令出張候、二三代至取来弓矢之上、無是非次第候、然者氏康以外戚之好、対御当家、万乙景 …
御札披見、本望候、抑今度之様子、案外至極候、已前以鈴木、氏直申達候キ、能ゝ初中後有御工夫、可然様ニ御取成専要候、何篇ニも氏直無表裏所、分明可被仰立事、年来之筋目此節候、悉皆貴老可有御指引候、恐々謹言、 十二月九日 氏政( …
従京都之御書付給候、并御添状具披見、内ゝ遂一雖可及貴答、還相似慮外候歟之間、先令閉口候、畢竟自最前之旨趣、貴老淵底御存之前、委細被仰候者、可為本懐候、猶罪之被糾実否候様所希候事、一両日以前以使申候キ、津田・冨田方へ申遣五 …
「上書 西嶺様[是ハ大林寺隠居之事、] 自 三河岡崎 慶度」 此所ニ二下り候へとも、かミ悪敷成見へ不申候、 阿大より可被申上とも、取乱候間無其儀候、駿河衆至今橋とりかけ候、今日迄させる行なとも候ハす候、味方中堅固被申 …
天文十二 八廿日 就 禁裏様御修理之儀、日野町殿御下向、 御内書頂戴忝畏入奉存候、則鳥目五万疋調進仕候、可然之様取成所仰候、恐々謹言、 七月廿三日 治部大輔義元 謹上 大舘左衛門佐殿 →戦国遺文 今川氏編「今川義元書状写 …
今度彼病者、療治手尽既事極処、以良薬得減気、打続本覆之形ニ被取成候、誠不思議奇特、於愚老大慶満足不過之候、 鎌倉様へも意趣具可言上候、於東国御名誉不及是非存候、 仍刀菊一文字、氏綱不離身致秘蔵候、此度進置候、猶遠山左衛 …
一昨日者遂面上候、仍御前御煩、一昨日朝より豊前療治被申候、彼薬相当、自昨日熱気散候、殊夜中今朝者、すきと能候、然ニ産之脈証自今朝出来、腰腹心も其分ニ候、無力御入候時分窮屈ニ候、雖然、今度之煩能時分得減気、不思議仕合候、祈 …
於幸嶋、飯沼足軽取候模様、彼足軽疾召寄候得共、煩故不及尋、今朝召出尋候、横曽根之市江罷越者ニ候之間、敵地通達曲事之由存、取由申候、然者兼日自幸嶋下妻通用往覆可押段、我ゝ不申付処、如此致候条、細ゝ不及糾明儀、早ゝ可返旨、申 …
廿七日之状、廿八日辰刻披見、何も得心申候、東口之一ヶ条をハ奥州へ申候、堅固ニ可申付候、 一長浜之城之儀者、今朝も其方以書状、表へ申候、如何ニも尤與之儀候間、幸彼地大川其許ニ可為籠城候、様子申付可遣候、 一下田之城ニ梶原可 …