今川義元、村松正久らに、三浦元政より買得した遠江国仁田村の知行を安堵する
三浦左京亮知行仁田村之年貢員数、米弐百壱俵弐斗、代物弐貫文地之事 此外壱石壱斗一[二]升高尾江元政寄進之間、永除之也、 右、左京亮知行、数年依旱魃令困窮、借銭・借米為過分之間、彼知行五百弐貫拾文仁売渡、進退可続之由 …
三浦左京亮知行仁田村之年貢員数、米弐百壱俵弐斗、代物弐貫文地之事 此外壱石壱斗一[二]升高尾江元政寄進之間、永除之也、 右、左京亮知行、数年依旱魃令困窮、借銭・借米為過分之間、彼知行五百弐貫拾文仁売渡、進退可続之由 …
御知行仁田村員数之事 合弐百拾九俵壱斗三升、 同弐貫文代物、此外ニ壱石壱斗弐升地高尾三浦左京亮殿御寄進、永代除之、 右、永代買徳申候、然上者、永御同心ニ参可走廻候、此上者、彼地一円ニ御綺有間敷候、為知行可致所務候、殊ニ御 …
七月七日治部当座 聖護院門跡御座也、内々東と和与御扱之由也、然間当国へ御下向之間、彼会へ入候也、河つらと詠けるを、河つらとハ今河家ニ禁也、同嶋も禁也、殊新嶋一段不吉、 七夕霞 霞にもむせふはかりに七夕のあふ瀬をいそく天の …
右中弁正五位上同晴資『十六』 蔵人『三月廿七日転右中兼修理右宮城使』 去夏此依狂気下向駿河国、渡富士河没水中云々、後聞、依狂気令自害云々、 →静岡県史 資料編7「弁官補任」(天文二十年条) 右中弁正五位上、藤原晴資『十六 …
(3月) 今月十七日、氏輝死去[廿四日、止々]、同彦五郎同日遠行、 →静岡県史 資料編7「為和集」(宮内庁書陵部所蔵) 今月17日、氏輝死去。24日に止々。同じく彦五郎が同日遠行。 (3月) 十八日、例之建長・円覚之僧 …
御名字・御家督之儀、御相続之段被聞召候、尤珍重之由気色候、仍御字以御自筆被遣之旨、被仰出候、御面目至目出存候、恐々謹言、 五月三日 左衛門佐晴光 謹上 今川五郎殿 うら書 大館 →静岡県史 資料編7「大館晴光 …
(天文5年) 同五月廿四日夜、氏照ノ老母、福嶋越前守宿所へ行、花蔵ト同心シテ、翌廿五日従未明於駿府戦、夜中福嶋党久能へ引籠ル、 →静岡県史 資料編7「高白斎記」 5月24日夜、氏輝の老母が福嶋越前守の宿舎に行き、花蔵と …
(天文5年5月) 十日甲子、(中略) 一仮殿御遷宮事、六七月之間可然由、自小田原雖有之、駿州之其逆乱材木不調間、八月迄申延畢、材木者両月ニ可罷着之由註進有之、今川氏輝卒去跡、善徳寺殿・花蔵殿、依争論之合戦也、 →静岡県史 …
(天文5年) 其年六月八日、花倉殿・福島一門皆相模氏縄ノ人数か責コロシ被申候、去程ニ善徳守殿ニナホリ被食候、 →静岡県史 資料編7「妙法寺記」 その年の6月8日、花倉殿・福島一門は皆相模国の氏綱の軍勢が攻め殺された。そ …
就商買之儀、徳政・要脚・国役・年紀并永代買得田畠・屋敷・浜野方・所当色成・公方年貢并上年貢以下之事、或売主闕所方、或披官等退転、不遂糾明使入之事并信秀任先判之旨免許舟之事、付沙汰、任代々旨令免許候、并商買之儀候之条、縦盗 …