就商買之儀、徳政・要脚・国役・年紀并永代買得田畠・屋敷・浜野方・所当色成・公方年貢并上年貢以下之事、或売主闕所方、或披官等退転、不遂糾明使入之事并信秀任先判之旨免許舟之事、付沙汰、任代々旨令免許候、并商買之儀候之条、縦盗物たりといふ共、質物之事候之間、不可有異儀候、并取質・請質・郷質ニ取候事、質物ニ取候自然失候時は、如前々任大法之旨、可相果之事、一切免許如此一札遣候上者、自然免許令棄破雖申付候、不混自余、於末代聊不可有相違者也、仍如件、
■■廿弐
十月日
信勝(花押)
加藤図書助殿
→愛知県史 資料編10「織田信勝判物」(加藤景美氏所蔵文書)
1553(天文22)年に比定。
商売のことについて。徳政・要脚・国の課税・20年紀法、ならびに永代で購入した田畑・屋敷・浜・野の、地税・雑税・公方年貢ならびに上年貢以下のこと、あるいは、売主が欠所、または被官を外されたとしても糾明使が入らないこと、ならびに信秀が出した先の判形による免許舟のこと、処置を行ない、代々のことに任せて免許します。ならびに商売のことは、たとえ盗品であっても質物のことですから異議のないように。ならびに質を取ったり請けたり、郷質を取ることは、取得した質物を万一失った際には、前々のように大法の通り決済することとします。一切の免許をこの書面のように発給しますので、万一免許を破棄するように申しつけたといっても、他とは一線を画して、末代まで少しの相違もあってはなりません。
ますます意味不明なのですが。
どこがわかりやすいのでしょうか。
確かにこの判物は判りにくいですね。課税対象や税種が混じっている上、唐突に舟の権利も出てきたりしますし、述語が省略されている感じがします。「并」が多いので、既得権益を慌しく保証した様子も見られます。追加の説明史料としては難解かも知れません。
とはいえ、信長が1552(天文21)年12月にきっちりした書面を加藤西家に発給したのに対し、翌年10月の信勝は加藤本家に取り散らかした書面を発給した……という違いはよく判ります。