右中弁正五位上同晴資『十六』
蔵人『三月廿七日転右中兼修理右宮城使』
去夏此依狂気下向駿河国、渡富士河没水中云々、後聞、依狂気令自害云々、
→静岡県史 資料編7「弁官補任」(天文二十年条)
右中弁正五位上、藤原晴資『十六』。蔵人『3月27日、転じて右中弁と兼任で修理右・宮城使』。去る夏に狂気により駿河国へ下向、富士川を渡り水中へ没するという。後で聞くと狂気により自害したのだという。
右中弁正五位上同晴資『十六』
蔵人『三月廿七日転右中兼修理右宮城使』
去夏此依狂気下向駿河国、渡富士河没水中云々、後聞、依狂気令自害云々、
→静岡県史 資料編7「弁官補任」(天文二十年条)
右中弁正五位上、藤原晴資『十六』。蔵人『3月27日、転じて右中弁と兼任で修理右・宮城使』。去る夏に狂気により駿河国へ下向、富士川を渡り水中へ没するという。後で聞くと狂気により自害したのだという。