七月七日治部当座 聖護院門跡御座也、内々東と和与御扱之由也、然間当国へ御下向之間、彼会へ入候也、河つらと詠けるを、河つらとハ今河家ニ禁也、同嶋も禁也、殊新嶋一段不吉、

七夕霞

霞にもむせふはかりに七夕のあふ瀬をいそく天の河岸

→静岡県史 資料編7「為和集」(宮内庁書陵部所蔵)

 7月7日治部大輔の座にて、聖護院門跡がご同席。内々で東(後北条氏)との和睦交渉をなさっているそうだ。そこで当国(駿河国)に下向し、あの会合に出た。「河つら」と詠んだのだが「河つら」は今川家では禁句である。同じく「嶋」も禁じられている。特に「新嶋」は一段と不吉となる。(和歌部分略)

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