今川義元、奥平定勝の功績を賞す
去年息千々代・同名親類等依忠節、新地山中七郷充行分[但此内百五十貫文、竹尾平左衛門割分除之、]本知行并遠江国高部給分、弟日近久兵衛尉知行分、同去年配当形之厚分等之事 右、依今度久兵衛尉謀反現形、最前ニ馳来于吉田、子細申分 …
去年息千々代・同名親類等依忠節、新地山中七郷充行分[但此内百五十貫文、竹尾平左衛門割分除之、]本知行并遠江国高部給分、弟日近久兵衛尉知行分、同去年配当形之厚分等之事 右、依今度久兵衛尉謀反現形、最前ニ馳来于吉田、子細申分 …
去天文十七年[戊申]年三月十九日於西三河小豆坂尾州衆馳合、最前馬を入、殊ニ殿之時、有我等同心無比類義、感悦之至候、弥可被軍忠事専要候、仍如件、 四月十五日 備中守 松井惣左衛門殿 →愛知県史 資料編10「朝比奈泰能感状写 …
去比医王山取立候、普請早出来、各馳走之段注進、誠以悦然候、近年者東西陣労打続候、勲功之至候、仍三州此刻可達本意候、近日可出馬候間、其心得肝要候、謹言、 七月八日 義元(花押) 天野安芸守殿 →愛知県史 資料編10「今川義 …
同名彦九郎自去年春逆心事、沙汰之限也、雖然定勝事、無二存忠節、彦九郎遂成敗段神妙也、為其賞日近郷之事、永充行之了、彼者本知行分野山・河原・寺社領并買得地等、一円為不入所々領掌候也、棟別之事、永令免許之、百姓以下他之被官仁 …
『雑説(ぞうせつ)』は、「取り留めのない噂」というのが本来の意味。ただし、世情を反映して戦国期の例だと「不穏な噂・騒動」という扱いが多い。 『錯乱』は雑説が更に進展して、誰の目にも騒ぎになっている状態を指すことが多い …
より大きな地図で 奥三河関係図 を表示 青ポイント 今川方 水色ポイント 武田方 緑ポイント 遠山・広瀬・鱸の各氏 黄色 帰属不明
1553(天文22)年 3月21日 今川義元は奥平定勝の諸権益を安堵する 9月4日 菅沼伊賀が返り忠したと今川義元に賞される 今川義元は北三河の奥平定勝の諸権益を安堵している。これは奥三河から反今川勢力を一掃する方針だっ …
極端に異なる意味を持つ、扱いが難しい言葉。「紛争する」と「仲介する」という両方の意味が、ここにアップした文書内で出てくる。「紛争する」という場合は「取り合う」、「仲介する」という場合は「執り成す」として現代語につながる …
より大きな地図で 小豆坂合戦関連図 を表示 拠点凡例: 紫=人質や年貢の集積を行なう政庁機能もある拠点 青=複数の文書に登場する地域的な拠点 水色=単一の文書に登場し「取立」の語を伴う臨時拠点 岡崎 今川・織田のどちらか …
小豆坂合戦は1548(天文17)年3月19日に行なわれたことが確認できるが、松井惣左衛門宛の義元感状を見ると 「於西三河小豆坂尾州馳合、最前入馬尽粉骨、宗信同前為殿之条」 (西三河小豆坂において尾張方と戦闘し、前線に馬 …