今川義元、天野景泰の三河国医王山砦普請などの勲功を賞す

去比医王山取立候、普請早出来、各馳走之段注進、誠以悦然候、近年者東西陣労打続候、勲功之至候、仍三州此刻可達本意候、近日可出馬候間、其心得肝要候、謹言、 七月八日 義元(花押) 天野安芸守殿 →愛知県史 資料編10「今川義 今川義元、天野景泰の三河国医王山砦普請などの勲功を賞す

今川義元、奥平定勝の同彦九郎成敗の功を賞し、三河国日近郷を与える

同名彦九郎自去年春逆心事、沙汰之限也、雖然定勝事、無二存忠節、彦九郎遂成敗段神妙也、為其賞日近郷之事、永充行之了、彼者本知行分野山・河原・寺社領并買得地等、一円為不入所々領掌候也、棟別之事、永令免許之、百姓以下他之被官仁 今川義元、奥平定勝の同彦九郎成敗の功を賞し、三河国日近郷を与える

雑説・錯乱・逆心

 『雑説(ぞうせつ)』は、「取り留めのない噂」というのが本来の意味。ただし、世情を反映して戦国期の例だと「不穏な噂・騒動」という扱いが多い。  『錯乱』は雑説が更に進展して、誰の目にも騒ぎになっている状態を指すことが多い 雑説・錯乱・逆心

検証a23:奥三河の拠点位置関係

より大きな地図で 奥三河関係図 を表示 青ポイント 今川方 水色ポイント 武田方 緑ポイント 遠山・広瀬・鱸の各氏 黄色 帰属不明

取合・取相

 極端に異なる意味を持つ、扱いが難しい言葉。「紛争する」と「仲介する」という両方の意味が、ここにアップした文書内で出てくる。「紛争する」という場合は「取り合う」、「仲介する」という場合は「執り成す」として現代語につながる 取合・取相

検証a21:小豆坂合戦の趨勢

 小豆坂合戦は1548(天文17)年3月19日に行なわれたことが確認できるが、松井惣左衛門宛の義元感状を見ると 「於西三河小豆坂尾州馳合、最前入馬尽粉骨、宗信同前為殿之条」 (西三河小豆坂において尾張方と戦闘し、前線に馬 検証a21:小豆坂合戦の趨勢