同名彦九郎自去年春逆心事、沙汰之限也、雖然定勝事、無二存忠節、彦九郎遂成敗段神妙也、為其賞日近郷之事、永充行之了、彼者本知行分野山・河原・寺社領并買得地等、一円為不入所々領掌候也、棟別之事、永令免許之、百姓以下他之被官仁罷出事、令停止之、可為定勝計也、久兵衛尉事、内々可加成敗之処、令欠落之条、不及是非、縦至于後年対此方抽忠節、日近郷之事、成競望雖企訴訟、一切不可許容、定勝本知行之事、是又永不可有相違、親類奥平与七郎及両度致逆心上者、彼諸職之事、為作手領割分之内条、可為定勝計者也、仍如件、
弘治参年
六月廿六日
治部大輔判
奥平監物入道殿
→愛知県史 資料編10「今川義元判物写」(松平奥平家古文書)
同姓彦九郎が去年春より逆心したことは沙汰の限りである。とはいえ定勝は無二の忠節を持っていることは存じており、彦九郎を成敗したことは神妙である。その賞与に日近郷として末永く給与する。あの者の本知行分の野山・河原・寺社領並びに買得地などは一円を不入として各地掌握して下さい。棟別銭のことは末永く免除します。百姓以下が他の被官となって出た場合はこれを罷免し、定勝だけがなすこと。久兵衛尉のこと、内々に成敗を加えるべきところ、逃亡したとのことで致し方ない。たとえ後年に味方となって忠節にぬきんでたとしても、日近郷のことは競合しようと訴訟を企てることは一切許容しない。定勝の本知行のこと、こちらもまた末永く相違がないように。親類の奥平与七郎が2度の逆心に及んだ上は、彼の諸職のこと、作手内の割当領地については定勝だけがなすこと。