北条氏政、猪俣能登守に上野国沼田城の重要性を説き備えを厳にさせる

山鳥・蝋燭到来候、仍干海鼠・海鼠腸遣候、然而諸軍勢悉打着候、諸山手ニ為陣取候、眼前之事、善悪ニ付而可心安候、如顕先書、上州之儀者、沼田一城ニ極候、心ミしかく擬候而者、一向可為無届候、其塩味専一候、普請与くらい物者、此両様 北条氏政、猪俣能登守に上野国沼田城の重要性を説き備えを厳にさせる

中津城探訪

昨年(2010年)夏に中津へ立ち寄ることがあり、中津城に行ってみた。 本丸に作られた大天守を望む。高さから言うと、5層で過不足はないと思うが、建坪が少ないので異様な感じがする。松本城天守が上層の逓減率が低く頭でっかちなた 中津城探訪

北条氏政、木古葉の小代官・百姓中に徴兵規則を発布する

掟 一当郷ニ有之者、侍・凡下共ニ廿日可雇候、行之子細有之間、悉弓・鑓・鉄炮何にても得道具を持、何時成共、一左右次第、可罷出事、 一此度若一人成共、隠而不罷出儀、後日聞届次第、当郷之小代官并百姓頭可切頸事、 一惣而為男者ハ 北条氏政、木古葉の小代官・百姓中に徴兵規則を発布する

無沙汰

無沙汰とは沙汰がないことを指すが、具体的には以下の事例のように使われている。義務を果たさないというニュアンスが最も強く、社会的な状況から徴発の無視・サボタージュの例が多いようだ。 外交に関わるもの 万乙景虎可存無沙汰覚悟 無沙汰

夫婦別姓の歴史的経過

『戦国を生きた公家の妻たち』 (後藤みち子著・歴史文化ライブラリー)を読んだところ、最近の日本で取り沙汰されている夫婦別姓に関して考察されていたのが面白かった。戦国時代になるまでの公家では、女性の地位が低く夫や子供と同じ 夫婦別姓の歴史的経過

2人の義氏

鎌倉期と戦国末期に、2人の足利義氏が存在していた。それぞれが足利家の始点と終点を体現しており、『義氏』とはある意味究極の名前であることを示していた。 足利氏は、もともとは上野国在地の源氏に過ぎなかった。ところが、鎌倉政権 2人の義氏

織田信秀、尾張国熱田の加藤延隆に、商売上の特権を与える

就商買儀、徳政・要脚・国役・年記并永代買得田畠・浜野以下之事、雖為或売主闕所或退転、達勝免許之御判形相調遣上者、任其旨、於此方、於末代、不可有相違者也、自然如此免許令破棄、雖申付、聊不可有相違者也、仍状如件、 天文八 三 織田信秀、尾張国熱田の加藤延隆に、商売上の特権を与える