中津城探訪

昨年(2010年)夏に中津へ立ち寄ることがあり、中津城に行ってみた。

本丸に作られた大天守を望む。高さから言うと、5層で過不足はないと思うが、建坪が少ないので異様な感じがする。松本城天守が上層の逓減率が低く頭でっかちなため、実見した際、写真よりも威圧感があって驚くが、ちょうどその逆パターン。

本丸の石垣は野面積みっぽかった。この写真は、後世組み直されたエッジ部分だと思われる。石垣は角をしっかり組まないと崩れやすいのだが……。

管理事務所、小天守、大天守が重なるように撮影(岡山城っぽく)。左手には奥平神社があるが、どちらも後世の築造物。江戸期に天守や神社があった記録はない。ちなみに、手前の車庫は標準的な大きさのもの。若干パースがかかるとはいえ、天守が5層であることが不自然なのが判ると思う。

奥平神社の側面から撮影。屋根瓦に雑草が生えている……かなりの財政難かと。

大天守最上階からの眺望。左手が山国川で、手前の建物が中津大神宮。山その向こうの奥にあるのがその社務所で、さらに奥の木立には中津神社がある。また、社務所右側に金比羅神社があるが、ここの櫓が天守代わりだったという。

この画面の右手には、黒田氏入部に抵抗して騙まし討ちで滅亡させられた宇都宮氏を祀った城井神社がある。城跡に神社はつきものだが、これだけ密集しているのも珍しい。

城井神社の表札が、何だかマジックっぽいインクで書かれていた驚いた。下の画像は金比羅社内に安置されていた魚のお神輿。これも初めて見た代物でびっくり。

城下の寺町にある合元寺。赤い壁は、騙まし討ちにあった宇都宮家臣のもので、何度塗り替えても赤く浮かび上がることから、赤く塗って目立たなくさせたという。中津城の寺町は道路が狭く、かなりの密集状態にある。自動車は1台ぎりぎり通れる道で、なおかつ曲がりくねっている。往時の面影は忠実に伝えられている。

中津城のそばには福沢諭吉旧居記念館もあって、明治時代の中津についての展示も見られる。福沢諭吉が勉学に励んだという土蔵の2階には、ご覧のようなフィギュアが安置されている。

中津城の天守は2010年10月に埼玉の福祉事業会社『千雅』が買い取っており、内装工事で行なっていたようだ。2011(平成23)年2月26~27日には天守前に特設雛壇を設置し、「人間ひな飾り」を開催するという。

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