以下が基本図形となる。濃い紫が市街、薄い紫が大型構造物。緑は丘陵地を指す。鳴海原を相原郷と想定した場合、鳴海・相原で最高所となる大形山が義元本陣となるだろう。
永禄記に予想される街道を書き加えた。相原郷からまっすぐ北上して古鳴海に向かう道、鳴海の砦を経由して古鳴海に至る道はどちらも鎌倉街道のバリエーション。その一方で、有松から鳴海を経て北上する東海道も発達して来ていると想定される。でなければ、鳴海が合戦の争点となることはないからだ。砦には円龍寺・浄泉寺が存在。瑞泉寺の北には駿河衆の駐屯地があったという。
1560(永禄3)年以後の想定図。円龍寺・浄泉寺は兵火のため砦から現在地に移転している。また、激戦地と思われる場所に光泉坊が編まれる。
下図は近世中期からのもの。光泉坊が相原郷に移って浄蓮寺となり、変わって同地に相原町が出来る。このことは、鳴海・相原で何らかの取り引きがあったことを窺わせる。