織田信勝、熱田社座主の尾張国笠覆寺領の参銭徴収を認める
笠覆寺領参銭等之事、誰々雖申掠候、備後守并三郎任先判之旨、不可有相違者也、仍状如件、 天文廿 九月廿日 勘十郎 信勝(花押) 熱田 座主御坊 →愛知県史 資料編10「織田信勝判物」(密蔵院文書) 笠覆寺領地の賽銭のこと …
笠覆寺領参銭等之事、誰々雖申掠候、備後守并三郎任先判之旨、不可有相違者也、仍状如件、 天文廿 九月廿日 勘十郎 信勝(花押) 熱田 座主御坊 →愛知県史 資料編10「織田信勝判物」(密蔵院文書) 笠覆寺領地の賽銭のこと …
大瀬古之余五郎跡職座之事、永代買得之儀、委細勘十郎理申候条、無別義申付候、然上者、於末代無相違可有智行者也、仍状如件、 四月十日 信長(花押) 賀藤左助殿 →愛知県史 資料編10「織田信長判物」(加藤家文書) 大瀬古の …
去正月、河合源三郎令逆心敵引入処、一類等奥山能登守かたへ相渡、無二令味方段、神妙也、又至于三月菅沼大膳亮お源三郎相催、屋敷構江攻入之刻、尽粉骨、甚以忠節之至也、因茲同名源三跡職知行一円、為新給恩去二月所出置之也、若於向後 …
敵味方預ヶ物・俵物并神田、為何闕所之地候共、不可有異見候、門外江使入候事、竹木所望・郷質取立候事、末代不可有相違者也、仍如件、 霜月廿七日 上総介 信長(花押) 熱田検校殿 参 →愛知県史 資料編10「織田信長判物」(馬 …
河尻与三郎分内拾五貫文并斎藤分四貫文合拾九貫文事、為扶助申付候訖、全知行不可有相違者也、仍状如件、 弘治元 十二月廿八日 信長(花押) 坂井文助殿 →愛知県史 資料編10「織田信長判物」(酒井家文書) 河尻与三郎分のう …
為合力、丹羽新十郎分之内、五拾貫文進之候、全不可有相違者也、仍状如件、 弘治 九月朔日 三浦対馬守 尭秀(花押) 坂井文助殿 →愛知県史 資料編10「三浦尭秀判物」(酒井家文書) 合力のため、丹羽新十郎分のうち50貫文 …
「□□小四郎殿 氏真」 遠江国犬居当知行分并宇奈代官職之事 右任先判形之旨停止他異論、如前々永不可有相違、藤秀幼少之時、同名安芸守犬居三ヶ村一円相計之旨申掠、天沢寺殿判形数通有之云々、雖藤秀知行分代官職之儀者、如父虎景時 …
(今川義元花押) 当宿伝馬之儀、天文廿三年仁以判形五箇条議定之処、 一里十銭不及沙汰由申条、重相定条々 一雖為如何様之公方用并境目急用、一里十銭於不沙汰者、不可出伝馬事 一毎日五疋之外者、可為一里十五銭事 一号此一返奉行 …
「権現様御判物 参州大浜村 下之宮神主」 大浜郷両熊野領、元康代仁雖落置之、只今令寄進畢、縦百姓等雖令買得、為新寄進返付上、於末代不可有相違、神社之修理、不可有無沙汰者也、仍如件、 蔵人佐 元康(花押) 永禄弐年己未 十 …
一 今度東條津平仁致取出、為勲功津平之郷一円、永令領掌畢、 一 於津平敵之給人衆令忠節、雖罷退候、判形出置之上者、於津平之儀者、不可有相違事、 一 万一無事之儀候共、於津平不可有違乱事、 右条々相定之上者、永不可有相違者 …