去正月、河合源三郎令逆心敵引入処、一類等奥山能登守かたへ相渡、無二令味方段、神妙也、又至于三月菅沼大膳亮お源三郎相催、屋敷構江攻入之刻、尽粉骨、甚以忠節之至也、因茲同名源三跡職知行一円、為新給恩去二月所出置之也、若於向後源三雖企競望、一向不可許容、縦経後年彼者致忠節雖望之、貞守事者以先忠宛行之条、永不可有相違、弥可抽忠節者也、仍如件、

永禄元 戊午 年

七月四日

治部大輔(花押)

伊東右京亮殿

→愛知県史 資料編10「今川義元判物」(早稲田大学図書館所蔵文書)

 去る1月、河合源三郎が逆心して敵を引き入れたところ、一味などを奥山能登守の屋敷に渡し、無二の味方となってくれた件は神妙である。また、3月に至って菅沼大膳亮を源三郎が誘って屋敷の構えに攻め込んだ際、苦労を尽くし、とても忠節の至りであった。このことから、同姓源三の遺産である知行一円を新給恩として2月より拠出している。もし今度において源三郎が争うことがあっても、一向に許容しない。たとえ年を経てあの者が忠節を行なって望んだとしても、貞守のことは先の忠義によって宛行なったので、永く相違はない。ますます忠節にぬきんでるように。

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