北条氏政、毛呂土佐守が榎本城を獲得したことを賞し、子息の病気に配慮する
一翰具令披見候、榎本本意先以大慶候、小山落居歴然候、随而息左衛門丞煩平癒之由、大慶候、働前候間、別而養性可為肝要候、恐々謹言、 追而太方煩長病ニ者、更ニ難治候、但、近日者、少見直候、折角可有推察候、 七月八日 氏政(花押 …
一翰具令披見候、榎本本意先以大慶候、小山落居歴然候、随而息左衛門丞煩平癒之由、大慶候、働前候間、別而養性可為肝要候、恐々謹言、 追而太方煩長病ニ者、更ニ難治候、但、近日者、少見直候、折角可有推察候、 七月八日 氏政(花押 …
就太方様御煩、一翰祝着候、経年月極労候、更無頼候、雖然、於保養無由断候条、昨今少験気之分候、哀々取延度候、将又甲州無仕合之儀、無是非候、然共彼分国諸境目無異儀由候間、至于今日、当方迄之苦労ニ無之候、委曲期重説候、恐々謹言 …
文豪チャールズ・ディケンズは1812年2月7日にイギリスの軍港ポーツマスで誕生した。今日はその200回目の記念日なので、少し語ってみる。 彼は分冊形式で安く販売される連載小説の名手だった。英国史上初の大衆作家であり、勃興 …
以前石垣山城の位置について考察した際に、山王川を挟んで小田原城総構えの外側に存在する篠曲輪が隠し港ではないかと推測したことがある(遠過ぎる石垣山 その4)。その後アップした史料を調べていて、氏政が氏規に水軍の配置を指示 …
北条氏政が、実母瑞渓院殿の看病を清水上野入道(康英)に命じたとされる書状だが、少しおかしな点がある。 「御太方御煩、経年月大病候間」御太方(大方)は瑞渓院殿を指す。年月を経て大病しましたので、とあるが瑞渓院殿が夫氏康と …
御太方御煩、経年月大病候間、更難治候、土用中極ゝ養性候、無少験気候、此上も勿論於保養者、少も不足有間敷候、恐々謹言、 六月廿三日 氏政(花押) 清水上野入道殿 →小田原市史 通史編 原始 古代 中世 別冊 小田原北条氏五 …
上杉輝虎の視点から関東出征を描いている。概ね合っていると思うのだが、後北条・今川を中心に調べている身からすると色々疑問がある。 ●氏真の塩荷抑留について永禄11年と比定しているが、永禄11年12月18日に駿河方面斥候とし …
またAndroidの話だが、『和時計』というアプリが面白い。GPSで割り出した緯度・経度から日出と日没の時刻を設定。それを不定時法に割り当てて「明け六つ」「お八つ」を体感できる。12支を2時間ごとに振ったものも併記されて …
漸く手が空く目途が立ってきた。来期予算の可否で部署の面々とその家族の1年の生活が変わるだけに、毎年苦しむ。 そんな折は戦国の小領主に思いを馳せる。私の場合、どんなに失敗しても死者は出ない。それでも部下が増える度にプレッシ …
つるぎの屋 和暦西暦皇紀干支一覧 干支と改元月日、閏月が記戴されているので、とても使い易い。中世末だとかなり下までスクロールしなければならないのが唯一の難点だが、改元月日があるのは素晴らしい。