『謎解き関ヶ原合戦』

桐野作人著・アスキー新書。史料ベースできっちり構成されている。とはいえ『関ヶ原前夜』と比較すると、二次史料の多用が目立つ。興味深かったのは、小早川秀秋の家臣である稲葉正成・平岡頼勝が、徳川家康側近の山岡道阿弥・岡野江雪斎 『謎解き関ヶ原合戦』

一両人

現代語では『一両日』というと1~2日となる。一(1)から両(2)とするためだ。では戦国期はどうか。アップした文書から検索すると4例が挙がった。 01)用所之義、町人一両人被相加、厳密ニ可致候 必要なことは、町人『一両人』 一両人

用所

「用所」の例を挙げてみる。 01)世間只今之義相替候間、用所不成事候 世間の現在の状況は変わってしまったので、『用所』もならないことです。 02)過半小田原之川へ引上而置、用所次第可乗出候 大半を小田原の川へ引き上げて配 用所

後北条氏、三島の町人瀬古氏に新田の人質管理を委託する

新田証人上下貮人預ヶ被為置候、用所之義、町人一両人被相加、厳密ニ可致候、公用之義者、取越相調、重而以日記可申上、速ニ可被下者也、仍如件、 酉[虎朱印] 三月七日 大草左近大夫 奉 三嶋町  瀬古 →戦国遺文 後北条氏編「 後北条氏、三島の町人瀬古氏に新田の人質管理を委託する

氏政天正10年も出馬できず

瑞渓院殿の危篤と氏政の出馬延期の相関性を考えているが、天正10年の甲信侵攻作戦での氏政不出馬のケースともつながるように思えて興味深い。この時の氏政は天正3年の榎本攻略時より追い詰められていた。 氏直を主将とする「大手」は 氏政天正10年も出馬できず

古文書入力用端末GalaxyNote

Androidでの文字入力が楽過ぎて、古文書のテキスト化と解釈作成もPCから移行しつつある。旧字体の入力にしてもマイナーな字だとWindowsではマウスによる手書きになる訳だから、始めから手入力の方が早い。 とはいえ、A 古文書入力用端末GalaxyNote

北条氏政、清水上野入道に、東上総での戦闘状況を伝える

一札具披見候、去十九東金へ押詰、土気・東金両地郷村毎日悉打散候、諸軍ニ申付、敵之兵粮を苅取、今朝中一宮へ籠置候、此表者明隙候、此上之模様、諸老令談合、可落着候、西口無替儀由、令得其意候、恐々謹言、 八月廿八日 氏政(花押 北条氏政、清水上野入道に、東上総での戦闘状況を伝える