以前石垣山城の位置について考察した際に、山王川を挟んで小田原城総構えの外側に存在する篠曲輪が隠し港ではないかと推測したことがある(遠過ぎる石垣山 その4)。その後アップした史料を調べていて、氏政が氏規に水軍の配置を指示した書状を改めて見つけた。過半小田原之川へ引上而置、用所次第可乗出候とある。小田原の川というと、早川・山王川・渋取川・酒匂川だが、早川と酒匂川は総構えに隣接していない。山王川もぎりぎり外れているため、やはり渋取川が第一候補となるだろう。篠曲輪と総構えの間に兵船を係留して、必要に応じて出撃する予定だったと見てよいと思う。

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