一両人

現代語では『一両日』というと1~2日となる。一(1)から両(2)とするためだ。では戦国期はどうか。アップした文書から検索すると4例が挙がった。

01)用所之義、町人一両人被相加、厳密ニ可致候

必要なことは、町人『一両人』を加えられ、厳密にして下さい。

02)依此御返事、家老之仁一両人以書状可被申入候

このお返事により、家老の方『一両人』が書面をもって申し入れられるでしょう。

03)当地悉令放火、敵一両人討捕、注進状令披見候

当地でことごとく放火して、敵『一両人』を討ち取った報告書を拝見しました。

04)猶伝馬銭於不出者、此儀及横合者、一両人可成敗之状如件

なお、伝馬銭を拠出しない者、このことに異議を唱える者は、『一両人』成敗するだろうことは件の通りである

01は「1~2人」だとしても問題はない。但し、その前段で町人が付けられる対象が「新田証人上下2人」と書かれているため、「町人一」が「両人に相加えられ」るように「厳密に致すべく候」と切り分けられる可能性がある。

02については「家老格が1~2人」であるなら問題はない。但し、書状を書いたのは一宮宗是という今川家臣に過ぎず、格上であろう家老を「1~2人」と大雑把に括る点に疑問がある。「一両人」と挿入しなくても意味は通るように思えるので、更に疑問は大きくなった。

03については明らかにおかしい。感状で、討ち取った数をこのように記述する例はない。「一人」か「二人」では大きく異なるからだろう。「余人」がつく場合もあるが、これは二桁の戦果を集団で得た際に用いられている。討ち取った人数が1人か2人か不明だったまま感状を発行した可能性もあるものの、「注進状を披見せしめ候」とあるから報告書は上がっている筈だ。

04も「1~2人」では無理が大きい。成敗対象者は、伝馬銭拠出の拒否者と異議提唱者となる。違反した者は全て処罰対象となり得る訳で、1~2人と枠をはめる表現は矛盾する。どちらもを成敗するということだから、『一両人』=「どちらの者も」とした方が自然だ。1~2という数の概念よりは、名前を特定しない任意の人間という側面が強い。とはいえ違反した者の成敗を記述した文書で『一両人』が見られるのはこの文書だけであることから、何故ここにだけ使われていたのか謎は残る。

では今度は『一両人』を「任意の有資格者=然るべき誰か=責任がとれる者」と読み替えて考えてみる。01、02、04に矛盾はない。然るべき町人(責任を負える者)、家老のうち誰か責任が取れる者、違反者のうち責任を取れる者となる。03は特異で、名前が出てこないで「敵一人」と記述する感状が多い中、何故ことさらに「敵のうち然るべき誰か」という意味合いを持たせたのかを解明しなければこの仮説は成り立たない。ただ、何れにせよ「両=2」の意味は入っていないと考えることに矛盾は生じないだろう。

そこで、「両」がつく数詞を更に検索すると、「両三人」という言葉が見当たった。こちらも「両=2」と捉えると2~3人となる筈である。

05)小田殿内、山内・前野・高田、両三人へたけを一すしつゝ遣し候
06)同五月廿日父平左衛門と重時并近藤石見守両三人、於三州最前令忠節
07)今度自房州、越上州へ候使両三人搦捕候、先代未聞忠節候

ところが、05と06はともに人名を明確に指し示しており、数字のぶれも任意性も全くない。07だけ人名はないものの、この時氏康はこの手柄に狂喜しており、前代未聞の手柄だとして太刀を与えるばかりか知行も給付し、「更に通行するだろうからもっと捕捉せよ」と書いている。ここまでの手柄に対して「2~3人」というぶれを用いるとは考えにくい。3例ともに「3人であってそれ以外の人数ではない」という強調の意味で「両」を付けているように思われる。

「一両人」「両三人」の共通点を抜き出すと、『両を2としていない』『特定の人物への依存度が高い』となる。一方「両」の位置が異なる点は重要な差異と考えうる。「両一人」か「三両人」が成立しない以上、この2つの言葉を取りまとめるのは難しいからだ。

恐らく私がアップした文書が少な過ぎて判断できないのだろう。今後は類例を更に探すとして、01~04の各文書では暫定処置として『一両人』として当てはめて解釈を行なわない。

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