今川氏真、鱸尉に、山中筋での活躍を賞し、森の大田郷を与える
就今度錯乱、山中筋無別条走回之段、喜悦之至也、然間為其賞、遠州森之内大田郷百疋之所、為新知行宛行也、雖有競望之族、依今度忠節出置上者、一切不可許容、守此旨弥可抽忠功者也、仍如件、 永禄十二[己巳] 二月廿六日 氏真判 …
就今度錯乱、山中筋無別条走回之段、喜悦之至也、然間為其賞、遠州森之内大田郷百疋之所、為新知行宛行也、雖有競望之族、依今度忠節出置上者、一切不可許容、守此旨弥可抽忠功者也、仍如件、 永禄十二[己巳] 二月廿六日 氏真判 …
参州大野田之事 右、菅沼新八郎爾雖令扶助、今度忠節之上、遂其理、為本地之条、如前々還附訖、永可令知行者也、仍如件、 永禄元[戊午]年四月十三日 治部大輔 奥平監物殿 →戦国遺文 今川氏編1391「今川義元判物写」(東京大 …
今廿三日下条志摩守罷帰、如申者、向懸川取出之地二ケ所被築、重而四ケ所可有御普請之旨候、至其儀者、懸川落居必然候、当陣之事、山半帰路以後、弥敵陣之往復被相留候之条、相軍敗北可為近日候、可御心安候、随而上野介・朝比奈駿河守・ …
別而可抽奉公之由候之条、為重恩三輪彦右衛門知行出置候者也、仍如件、 永禄十二 二月十四日 信玄(花押欠) 御宿左衛門尉殿 →戦国遺文 今川氏編2274「武田晴信判物写」(国立公文書館所蔵古今消息集八) 特別に奉公にぬ …
『戦国遺文 今川氏編』が第4巻で完結したのを受けて、いよいよ鳴海原合戦の考察を続けようと思う。 今川義元・氏真発給文書数推移 差し当たり、文書を取りまとめてみた。グラフにしたところ、いくつか留意点が出てきた。 01)義元 …
[懸紙ウハ書]「西郷監物丞殿 氏真」 去廿一日於懸河天王小路一戦之刻、一番ニ入鑓、敵数多鑓付仕場居衝崩、其上蒙鑓手、無比類働甚以感悦也、弥可抽戦功之状如件、 永禄十二年 正月廿八日 氏真(花押影) 西郷監物丞殿 →戦国 …
去廿日岡崎衆相働、天王寺江取詰、遂一戦処、無比類走廻候段、太以神妙也、本意之上急度可加扶助等、此間弥可抽戦忠状如件、 永禄十二年正月廿六日 今川氏真判 安藤九右衛門とのへ、 →戦国遺文 今川氏編2263「今川氏真感状写 …
去辰年錯乱之刻、無二爾自構父子共令供、老母・兄弟共無残召連、妻子之義者、大草次郎左衛門妻子同前ニ豆州江相退、懸河籠城中昼夜父子於三輪構、別而無油断走廻、殊敵天王山江取懸刻、合首尾無比類走廻之段、粉骨之至也、然本地・代官職 …
至于永禄三稔庚申四月、洪兄濫詐于礼部、々々決之、以拈鬮住持焉、霊鑑之所至乎、上坐看于臨在、洪兄住持本寺也、同五月十九日、礼部於尾之田楽窪、一戦而自吻矣、嗣太守上総介氏真公命上座司後因、号天澤寺殿、創墳寺於府之傍也、礼部始 …
割と等閑にされる話だが、ゴシック体は歴史の研究と相性が悪い。インターネットの隆盛によって、今までは「まあいいか」で済まされてきた誤字が許されなくなってきたと思う。下記を見てほしい。 MSWor …