今川氏真、稲垣重宗の牛久保在城手当てを保証する
於牛久保給恩分之事 一四貫文余 野方開発 一壱貫八百文 出目方 一壱貫弐百文 市座銭 一屋敷 向坂若狭守拘分 右、牛久保在城之分為四貫文之外之由、向坂六右衛門入道証文為明鏡之間領掌、雖然重テ在城之輩為城領之内之旨於訴出者 …
於牛久保給恩分之事 一四貫文余 野方開発 一壱貫八百文 出目方 一壱貫弐百文 市座銭 一屋敷 向坂若狭守拘分 右、牛久保在城之分為四貫文之外之由、向坂六右衛門入道証文為明鏡之間領掌、雖然重テ在城之輩為城領之内之旨於訴出者 …
長泉院寺領定事、 合五貫文 但、年貢目、 已上 右、当年庚寅年より、於中沼之郷、永代為寄進相定候、代官池田出雲守有御断、田地可有御請取之者也、仍如件、 天正十八年[庚寅] 三月廿日 直秀(花押) 長泉院 参 →戦 …
定 一 遠州 青柳三ケ郷 千百七拾三貫七百文 一 同所陣夫 拾三人 一 同州勝間田之内 大沼之郷 百弐拾壱貫文 一 同所陣夫 壱人 一 同州勝間田之内 布施方 廿四貫五百文 一 同所陣夫 壱人 一 同州勝間田之内 三栗之 …
今度京勢就出張、父子従最前参陣、丹波守ハ北敵為備松山帰城、仕置堅固之由候、新左衛門ハ当地在陣、旁以肝要候、弥掲粉骨可被走廻候、本意之上、駿州上州於両国一所可遣候、仍状如件、 天正十八年[庚寅] 卯月廿六日 氏直判 木呂 …
今度於山中、父右兵衛大夫、本城暫相拘、竭粉骨走廻、遂討死候、最前代未聞之仕合、無比類候、仍名跡之事、知行・同心・被官已下、於何事不相替可令相続候、父御用立候上者、別而引立可召仕候、仍如件、 天正十八[庚寅] 卯月十七日 …
用山様・同天澤寺様、二親之御いはひ田として、島崎二反、同三谷門前、さき切おこし反銭、共に相副申、令寄進所、依如件、 永禄三年庚申霜月十七日 四宮図書之助 輝明(花押影) 圓成寺江参 →戦国遺文 今川氏編2721「四宮輝明 …
小鹿民部少輔方於河野庄合力拾五貫文之内、五貫文被売渡、民部少輔方任証文之旨、永不可有相違、陣番役等之儀者、如年来民部少輔方可被勤之、他国人買跡之間、諸役不可有之者也、仍如件、 [年号見江不申候] 十一月九日 氏真判 法 …
今度江間合戦爾、父兵部少輔於馬前令討死、最以忠節至也、然間戴先判之知行之員数、永不可有相違、為其重判形出置所也、守此旨、弥可抽忠切者也、仍如件、 永禄拾三年[午庚] 八月十三日 家康御判 中安満千代殿 →戦国遺文 今川 …
御判 西参河内平口村年来令居住屋敷之事 右、先規棟別諸役以下拾間雖令免除之、依忠節重弐拾間、都合参拾間分不可有相違、然者押立人足普譜以下、彼員数分者永所令免許不可有相違者也、 弘治四[戊午] 三月廿五日 鈴木八右衛門殿 …
氏真御二方懸川御籠城ニ付而、彼行末為可見届申、当地へ来而申断、捨身命、凌数百里之海路馳参儀、志忠功之至、不准自余候、仍太刀一腰[末行]、遣之状如件、 永禄十二年 七月廿七日 氏康(花押影) 清水新七郎殿 →戦国遺文 今 …