今度江間合戦爾、父兵部少輔於馬前令討死、最以忠節至也、然間戴先判之知行之員数、永不可有相違、為其重判形出置所也、守此旨、弥可抽忠切者也、仍如件、
永禄拾三年[午庚] 八月十三日
家康御判
中安満千代殿
→戦国遺文 今川氏編2467「徳川家康判物写」(古文書集)
この度の江間合戦にて父の兵部少輔が馬前において討ち死にし、最も忠節の至りである。ということで、先の判物に載せた知行の数値は、末永く相違があってはならない。そのため重ねて判形を発行するものである。この旨を守り、ますます忠節にぬきんでるように。