書状

北条氏繁、本形寺に、出陣の状況を説明し伝手を求める

就当口着陣、早ゝ御使僧誠以喜悦候、近年者常陸口へ氏政被成進発故、久ゝ不申承候キ、前ゝ不相替相応之子細等、無御隔意就蒙仰者可為本望候、随而藻原自前ゝ老父別而申承候、此度房州口可罷向段屋形下知之間、任其儀三浦口へ出陣、拙夫当 北条氏繁、本形寺に、出陣の状況を説明し伝手を求める

北条氏政、千葉邦胤に、武田氏との断交を伝え援軍を求める

先段中村但馬所迄申越候条、定可披露候、然者甲相両国近年改而結骨肉、別而令入魂候処、無其曲、表裏追日連続、取分去年越国錯乱以来、敵対同前之擬耳、雖然、於愚者堪忍令閉口候処、此度駿豆之境号沼津地、被築地利候、此時者、不及了簡 北条氏政、千葉邦胤に、武田氏との断交を伝え援軍を求める

北条氏直、小幡兵衛尉に、西国勢の攻撃が近いことを報ず

「(懸紙ウワ書)「[異筆]天正十八寅三月十三到来」[墨引]小幡兵衛尉殿 自小田原[墨引]」 羽柴去三日京を立、五日之内駿河へ打着由、懸入之者共申候、然則敵之動可為近ゝ候、諸口之備堅固ニ候間、肝要候、於此上、為不可有油断、 北条氏直、小幡兵衛尉に、西国勢の攻撃が近いことを報ず

北条氏直、長尾新五郎に、小幡氏が氏邦の命に従わない時は、氏邦と相談、これを退治するため、出陣するよう命ず

小幡家中申事有之間、以房州及下知候、雖然、万乙不聞届者、可加退治候、至于其儀者、自房州可有一左右間、人衆払而召連有参陣、万端房州相談、可被走廻候、在所程近候間、郷人一揆以下迄相集、一途可被走廻候、恐ゝ謹言、 九月廿五日 北条氏直、長尾新五郎に、小幡氏が氏邦の命に従わない時は、氏邦と相談、これを退治するため、出陣するよう命ず

北条氏直、小幡兵衛尉に、近況を報ずるとともに、今度の不参を問う

一札披見、祝着候、作倉普請之儀、悉出来、明隙候、東表申寄者数多有之間、可及一行ため、今十日関宿迄着陣候、将又其已来御床しく候、為如何今度者無御出陣候哉、無御心元候、内ゝ自是可申述由、八幡ゝ存候へ共、無手透故遅ゝ、御無沙汰 北条氏直、小幡兵衛尉に、近況を報ずるとともに、今度の不参を問う