尾張国熱田の加藤延隆、次男元隆を叱責する
尚以、急度進退者被替候而、尤に存候ゝゝ、其方より可申候事と此方より申事候、分別あるへく候、尚以、しよたいをくつし候へハ我々そうさ大儀迷惑仕候へとも、借銭共とも仕候へハ、落居いかゝと存申事に候、かほもて首のあかをとり候て … 尾張国熱田の加藤延隆、次男元隆を叱責する
尚以、急度進退者被替候而、尤に存候ゝゝ、其方より可申候事と此方より申事候、分別あるへく候、尚以、しよたいをくつし候へハ我々そうさ大儀迷惑仕候へとも、借銭共とも仕候へハ、落居いかゝと存申事に候、かほもて首のあかをとり候て … 尾張国熱田の加藤延隆、次男元隆を叱責する
去年一乱以前借物之事、就敵筋者、縦雖有只今免許不及返弁、先当年貢急度可弁済物也、若就旧借之儀有入催促使輩者、彼使不及許容、依注進可加下知者也、仍如件、 天文十六 九月二日 山中七郷 其外医王山知行分 →愛知県史 資料編1 … 今川義元、三河国山中七郷に昨年以前の質物の返済免除を認める
主に今川氏から見た『岡崎』の帰属について列挙。天文後半から永禄初頭までをまとめたが、その動向は一定ではない。 1548(天文17)年3月11日 不明 織田方に攻囲・接収? 仍三州之儀、駿州無相談、去年向彼国之起軍、安城 … 検証a24:岡崎の帰属
参河国山中新知行之事 右、医王山取出割、就可抽忠節、以先判充行之上、当国東西鉾楯雖有時宜変化之儀、彼地之事、永不可有相違也、弥可専勲功状如件、 天文十六 八月廿五日 今川義元也 治部大輔判 作手仙千代殿 藤河久兵衛尉殿 … 今川義元、奥平定能・同貞友に、三河国山中の新知行を安堵する
■年於参河国今橋城、令内通存忠節、任契約之旨、細谷代官并給分■拾貫文令補任之、 右、任雪斎契約之旨、所充行之也、■可抽忠節之状如件、 天文十六 二月三日 治部大輔(花押影) 野々山甚九郎殿 →愛知県史 資料編10「今川義 … 今川義元、野々山甚九郎の三河国今橋城での忠節を賞し、細谷郷を与える
今度依忠節、当城扶助員数、代官等為替地、細屋郷可被捕任也、出仕之上御判■■沙汰者也、仍如件、 天文十五 十二月十四日 雪斎 崇孚判(花押影) 野々山甚九郎殿 右ハ折紙也、 →愛知県史 資料編10「太原崇孚判物写」 … 太原崇孚、野々山甚九郎の忠節を賞して兵員を増派する
去年息千々代・同名親類等依忠節、新地山中七郷充行分[但此内百五十貫文、竹尾平左衛門割分除之、]本知行并遠江国高部給分、弟日近久兵衛尉知行分、同去年配当形之厚分等之事 右、依今度久兵衛尉謀反現形、最前ニ馳来于吉田、子細申分 … 今川義元、奥平定勝の功績を賞す
去天文十七年[戊申]年三月十九日於西三河小豆坂尾州衆馳合、最前馬を入、殊ニ殿之時、有我等同心無比類義、感悦之至候、弥可被軍忠事専要候、仍如件、 四月十五日 備中守 松井惣左衛門殿 →愛知県史 資料編10「朝比奈泰能感状写 … 朝比奈泰能、松井宗保が小豆坂で活躍したことを賞す
去比医王山取立候、普請早出来、各馳走之段注進、誠以悦然候、近年者東西陣労打続候、勲功之至候、仍三州此刻可達本意候、近日可出馬候間、其心得肝要候、謹言、 七月八日 義元(花押) 天野安芸守殿 →愛知県史 資料編10「今川義 … 今川義元、天野景泰の三河国医王山砦普請などの勲功を賞す
同名彦九郎自去年春逆心事、沙汰之限也、雖然定勝事、無二存忠節、彦九郎遂成敗段神妙也、為其賞日近郷之事、永充行之了、彼者本知行分野山・河原・寺社領并買得地等、一円為不入所々領掌候也、棟別之事、永令免許之、百姓以下他之被官仁 … 今川義元、奥平定勝の同彦九郎成敗の功を賞し、三河国日近郷を与える