検証a08:朝比奈親徳の報告が意味すること
年次を欠いているものの、恐らく1560(永禄3)年と思われる朝比奈親徳書状が5月19日合戦の模様を断片的に語っている。 同文書によると、以下の事柄が判る。 合戦当時、朝比奈親徳は鉄砲によって負傷していた。 負傷が原因 …
年次を欠いているものの、恐らく1560(永禄3)年と思われる朝比奈親徳書状が5月19日合戦の模様を断片的に語っている。 同文書によると、以下の事柄が判る。 合戦当時、朝比奈親徳は鉄砲によって負傷していた。 負傷が原因 …
大高城が5月19日の合戦の焦点になるかもしれない。というのも、尾張国内に侵攻してからずっと、今川軍の大きな作戦目標に「大高への補給」という焦点があったからだ。具体的に検証すると以下のようになる。 鵜殿氏→1560(永禄 …
今川氏真文書にて、撤兵時の岡部五郎兵衛尉が水野藤九郎を討ち取ったことが記載されている。この人物は織田信長文書にも登場する。「当年自何方無到来候之処」とあることから、その年の9月15日になるまで、どこからも贈物がなかった …
織田家家臣、
今川氏真文書によると、松井部隊は今川軍で撤退戦のプロのようなポジションだったことが判る。 駿東郡を舞台とした『河東一乱』が出だしに入っているが、これは宗信の父親の話かも知れない。この文書のあて先は宗信の後継者『八郎』 …
今川氏真による文書に、珍しい種類のものがある。 ■田嶋氏への再安堵 ■大村氏への再安堵 どちらも以下の要素を持つ。 天沢寺殿(今川義元)が土地領有の保証を行なっていること。 しかしその保証書が、5月19日の合戦時に沓 …
検証a01に引き続き、同様の内容が含まれる文書を検討しよう。 武田晴信からの書状には、以下の事柄が含まれる。晴信は今川氏の強力な同盟者で、氏真とは何重にも血縁関係を持っている。 岡部五郎兵衛尉とは暫く音信がなかった。 …
『桶狭間の合戦』と世上呼ばれる戦闘を、まずは定義してみよう。通説は全て仮説として提示する。 日時 1560(永禄3)年5月19日(旧暦) 場所 愛知県豊明市に存在する標高65mの「おけはざま山」付近 概要 織田信長と交 …
戦国史上かなり華々しい戦でありながら、実は何も判っていないのが『桶狭間合戦』だと考えている。 川越夜戦や川中島、厳島、関が原などなど、戦国合戦は近年科学的なアプローチや史料精査によって劇的に解釈が進歩した。その一方で …