大高城が5月19日の合戦の焦点になるかもしれない。というのも、尾張国内に侵攻してからずっと、今川軍の大きな作戦目標に「大高への補給」という焦点があったからだ。具体的に検証すると以下のようになる。
鵜殿氏→1560(永禄3)年6月12日付け戦功報奨。
1559(永禄2)年11月19日・1560(永禄3)年5月19日
「去年十一月十九日、去五月十九日於尾州大高口、両度合戦之時」
朝比奈氏→1559(永禄2)年8月21日付け大高在番への報奨通達
「今度召出大高在城之儀申付之条」
菅沼氏・奥平氏→1559(永禄2)年10月23日付け合戦評価
「去十九日、尾州大高城江人数・兵粮相籠之刻」
ここで鍵になるのが、大高への補給作戦は19日にのみ行なわれているという点だ。朝比奈氏の報奨通達は21日付けになっているが、朝比奈氏が大高に着任したのは19日である可能性が高いと考えられる。なぜなら、その他の作戦は全て19日だからだ。
なぜ19日なのか。当時は太陰太陽暦が使われていた。月の満ち欠けでいうなら、毎月同じ日であれば満ち欠けも同じになる。月齢と関連があるのは潮の満ち引きもそうだ。日付が確実な、1559(永禄2)年10月・11月、1560(永禄3)年5月の、各19日がどのような条件だったかを調べてみると……。
太陰太陽暦 | 永禄2年10月19日 | 永禄2年11月19日 | 永禄3年5月19日 |
グレゴリオ暦 | 11月28日 | 12月27日 | 6月22日 |
月齢(輝面) | 15.5(99.8%) | 15.0(99.3%) | 14.9(98.7%) |
日の出 | 0636時 | 0659時 | 0436時 |
日没 | 1643時 | 1647時 | 1909時 |
最高潮位/時刻 | 2380mm/0658時 | 2300mm/0657時 | 2310mm/0544時 2410mm/1940時 |
最低潮位/時刻 | 80mm/0010時 60mm/2447時 |
-60mm/0003時 -120mm/2444時 |
0100mm/1241時 |
○使用ソフト
from TIDE Version1.33/超スーパー暦 Version1.2
見事なまでに、月齢15の満月を狙って作戦を行なっていることが判った。満月と新月では最高潮位が高い特徴がある。中でも満月を使っているのは、月明かりを使って航行するためではないか。古代は熱田神社があった大高は、中世末期港としては使えないほど奥まっていた可能性がある。ここに物資を運び込むとすれば、潮位が上がるタイミングを使い、船で行なうのが効率的である。
10月と11月の作戦時では払暁と最高潮位時刻がほぼ同じであるため、少しでも月明かりを使いたかった事情があったと想定できる。
ただし、この作戦形態は敵からパターンを読まれやすい。ここに、5月19日に今川義元が敗死する原因があったのかも知れない。義元が船上で討ち取られた可能性も出てきた。座乗する船が拿捕されたとすると、総大将であっても逃げられない。史料をその観点から再度検証する必要があるだろう。