織田信長、笠寺の権益を保証する
笠寺別当職備後守任判形之旨、御知行分参銭・開帳、寺山、寺中御計之上者、雖誰々申掠候、不可有相違者也、仍如件、 天文拾九 十二月廿三日 信長(花押) 座主 床下 →織田信長文書の研究(上) 「織田信長判物」(尾張密蔵院文 … 織田信長、笠寺の権益を保証する
笠寺別当職備後守任判形之旨、御知行分参銭・開帳、寺山、寺中御計之上者、雖誰々申掠候、不可有相違者也、仍如件、 天文拾九 十二月廿三日 信長(花押) 座主 床下 →織田信長文書の研究(上) 「織田信長判物」(尾張密蔵院文 … 織田信長、笠寺の権益を保証する
去三月、織田上総介荒河江相動之処、於野馬原遂一戦、頸一討捕之神妙也、度々粉骨感悦也、猶可励忠節者也、仍如件、 弘治弐年 九月四日 義元(花押) 松井左近尉殿 →静岡県史資料編7 「今川義元感状」(東条松平文書) 去る3 … 今川義元、野馬原における松井左近尉の戦功を褒める
就内宮可有御造替、御用脚之儀御屋形江申由候、先以目出候、然者今度外宮巡番ニ相当之条、縦雖従内宮被申候、先之致相拘候者、神慮尤可然候、 叡慮・上意被仰合筋目候、為御心得申入候、京都御沙汰次第重而自是御左右可申候、恐々謹言、 … 伊勢外宮神主度会備彦、今川義元が内宮に遷宮費用を納めるのを、留保するよう求める
(今川氏真花押) 分国中門前勧進之事 右、任先判形之旨、発起次第可被勧之由、領掌不可有相違者也、仍如件、 永禄元年 戊午 十月十七日 熊野新宮 庵主 →静岡県史資料編7 「今川氏真判物」(梅本文書) 分国中の門前で … 今川氏真、紀伊国熊野新宮に分国中の門前勧進を認める
(今川義元花押) 分国中門別勧進之事 右、只今之事者、参州出軍之条、於静謐之上、発起次第可被勧之旨領掌了、仍如件、 弘治二年 二月廿九日 熊野新宮庵主 →静岡県史資料編7 「今川義元判物」(梅本文書) 分国中で門別での … 今川義元、紀伊国熊野新宮に分国中の門別勧進を認める
但、今切渡相定船賃可有之、 此参宮道者四拾余人、不及諸関船賃之沙汰、路次無相違可通過之者也、仍如件、 天文廿二年 閏正月十一日 諸関 駿遠参 渡守中 →静岡県史資料編7 「今川義元通行手形」(植松雄峰氏所蔵文書) … 今川義元、伊勢参宮の道者に領内諸関・渡の通行手形を出す
今度尾州へ出陣ニ、具足・馬以下嗜之間、自当年千疋充可遣之、弥成其嗜可走廻者也、仍如件、 天文十九年 庚戌 八月廿日 植松藤太郎殿 →静岡県史「葛山氏元朱印状」 今度尾張国に出陣するに当たり、具足と馬の用意をするため、今 … 葛山氏元、植松藤太郎に尾張出兵資金として年10貫文を拠出する
「(端書(切封墨引))」 事長ゝ敷申様雖如何候、遠路御尋之義候条、如此候、 如仰、杳絶音問候処、急與示預、本望候、 一其表之儀、本庄逆心付而、去初冬ヨリ御在陣、至只今無手透被取結、外廻輪悉被為破(扌+却)、落居不可有程之 … 三木良頼、上杉輝虎に周囲の状況を知らせる
1522(大永2)年 刈谷 此国、折ふし俄に牟楯する事有りて、矢作八橋をばえ渡らず。舟にて、同国水野和泉守館、苅屋一宿。 常滑 尾張知多郡常滑、水野紀三郎宿所、一日。野間と云所、義朝の廟あり。 1524(大永4)年 亀山 … 宗長日記に見る三河・尾張
去月十七日、三州名倉於舟渡橋、岩村人数出張候処、敵山内采女か被官後藤三右衛門討捕之、同類之被官加藤甚四郎討捕之、同山本甚兵衛被疵一ヶ所、中村彦次郎蒙疵神妙之至也、弥可抽戦功之由、可申付候状如件、 永禄元年六月二日 義元判 … 今川義元、奥平松千代の舟渡橋合戦での活躍を褒める