関口氏経、田嶋新左衛門の戦功を賞す
壬戌年七月廿六日崇山中山落城之砌、其方為高名西郷新左衛門子令生捕、則良知披官中谷清左衛門ニ被相渡候処ニ、依取逃之、彼清左衛門于今ニ令山臨候処ニ、其方曲事之由大原肥前守被申候間、今度其子細申分之上被聞分候間、度々忠節奉公申 …
壬戌年七月廿六日崇山中山落城之砌、其方為高名西郷新左衛門子令生捕、則良知披官中谷清左衛門ニ被相渡候処ニ、依取逃之、彼清左衛門于今ニ令山臨候処ニ、其方曲事之由大原肥前守被申候間、今度其子細申分之上被聞分候間、度々忠節奉公申 …
諸荷物馬壱疋、国中往還之事、於末代違乱有間敷者也、仍如件、 永禄参申 九月日 (織田信長花押) 生駒八右衛門とのへ →愛知県史 資料編11「織田信長判物」(生駒文書) 荷物用の馬1疋、国内の通行に関して認めること、末代 …
為新加増、六右衛門給之内五百疋ツゝ両人へ千疋遣候上、相違有間敷也、仍如件、 永禄五 十月九日 信盛(花押) 赤川弥十郎殿 長田弥左衛門殿 →愛知県史 資料編11 「佐久間信盛判物」(熱田浅井家文書) 新しい加増として、 …
於足立郡望地一所可進置候、今度於玉縄、尽粉骨、可抽忠信事肝要候、仍状如件、 辛酉 三月三日 氏康(花押) 大平清九郎殿 →戦国遺文 後北条氏編「北条氏康判物」(大平文書) 1561(永禄4)年に比定。 足立郡で望む地所 …
今度肝要之砌、無二ニ走廻候、喜悦候、於江戸筋一所可遣候、爰元取静、郷名可相定候、猶相稼候者、可為祝着候、仍如件、 永禄三年 十一月十二日 氏康(花押) 梁大蔵丞殿 →戦国遺文 後北条氏編「北条氏康判物」(早稲田大学所蔵文 …
来調儀火急に付て、氏政より之使、一昨日夜に入来りつき候、様躰者、明後日十九小田原を可被打出分ニ候、市川之船橋をハ、高城請取、はやゝ最中かけ候、如此之上、少も無油断支度専一候、日限之事者、両日まへに、可被仰出候、其故者、氏 …
於今日大槻合戦、則敵六人討捕候、尤心知好候、此間及度ゝ忠節、無比類候、向後弥可走廻者也、仍如件、 永禄四年 三月十四日 (氏政花押) 大藤式部丞殿 →小田原市史 資料編473「北条氏政感状」 今日の大槻合戦で敵6人を討 …
金谷斎一跡之事、嫡子筋無之ニ付而、雖為末子、彼一跡申付候、第一ニ一戦方之儀、昼夜共ニ心懸、於武具等、可相耆事、第二ニ者、寄子・被官可然者を聚、人を可改撰事、第三ニ者、邪之儀非分無之様ニ、触口以下可申付事、 右三ケ条、致無 …
笠寺別当職備後守任判形之旨、御知行分参銭・開帳、寺山、寺中御計之上者、雖誰々申掠候、不可有相違者也、仍如件、 天文拾九 十二月廿三日 信長(花押) 座主 床下 →織田信長文書の研究(上) 「織田信長判物」(尾張密蔵院文 …
(今川氏真花押) 分国中門前勧進之事 右、任先判形之旨、発起次第可被勧之由、領掌不可有相違者也、仍如件、 永禄元年 戊午 十月十七日 熊野新宮 庵主 →静岡県史資料編7 「今川氏真判物」(梅本文書) 分国中の門前で …