穴山信君、惣左衛門・助兵衛尉・六郎左衛門尉・清三郎・兵衛門尉の軍役参加を賞す
就両国之不和、今度御出馬之処ニ、早々出仕被申候、必進退相当之望可申上候、可相調候、猶帯金可申越候、恐々謹言、 十二月七日 信君(花押) 惣左街門殿 助兵衛尉殿 六郎左衛門尉殿 清三郎殿 兵衛門尉殿 →戦国遺文 今川氏編 …
就両国之不和、今度御出馬之処ニ、早々出仕被申候、必進退相当之望可申上候、可相調候、猶帯金可申越候、恐々謹言、 十二月七日 信君(花押) 惣左街門殿 助兵衛尉殿 六郎左衛門尉殿 清三郎殿 兵衛門尉殿 →戦国遺文 今川氏編 …
雖思慮不浅、馳愚札候、抑駿・甲・相更不離御間ニ候処、無意趣茂、以国競望之一理、今般自甲駿州へ乱入候、然ニ当方江之表向者、駿・越申合、信玄滅亡之企被取成候、此処慥承届之間、此度及手切之由、自甲被申越候、然則貴国へ内通故歟、 …
廿六日之一札、同申刻到来候、垪和かたへ被申越筋目、尤ニ存候、就中、御煩故今日無参府候哉、如露先書、三郎送衆物主間、無日数候条、此方ヘ御越御無用候、委細進藤口上ニ可申候、恐々謹言、 三月廿六日 氏政(花押) 源三殿 →小田 …
徳倉之普請、川一瀬ニ候間、則打越見届、大積を明鏡ニ致尤候、謹言、 八月十三日 氏政(花押) 岡本越前守殿 →小田原市史 史料編1383「北条氏政書状」(服部玄三氏所蔵手鑑二) 天正9年に比定。 徳倉の普請は、川が一瀬 …
如蒙仰、其以後者御無音罷過候、慮外之様ニ可思召処、令宣来候、仍有御用板倉之猟師共ニ白鳥之儀被仰付候哉、御肝要ニ存候、然ニ我等押申候由、彼者共申上候歟、 愛宕八幡〓(大+廾)為如何、御領所へ我等左様ニ慮外可申候歟、一円偽之 …
態啓候、其地普請堅固ニ出来之由、稼之段、肝要候、但、大敵可請返地形、爰元無腹蔵可有談合候、仍分端之動事如何、那波地難儀間、大途調迄者、遅ゝ候条、先一動可有之由茂因へも申越候、其方相稼、早ゝ先一動可有之候、委細河尻申候、恐 …
態以一札令申候、於今度働之上、当方一味茂呂方江如前ゝ入魂之由候、肝要至極候、弥以茂呂方可被相談事専要候、涯分可見次申覚語ニ候、猶使者可申候、次為祝儀、太刀一腰進候、恐ゝ謹言、 四月十日 氏康(花押) [宛名欠] →小田 …
至于当口出陣、定而可為御満足候、今日者河鰭ニ取陣、佐野・新田領可放火候、然者御同名蔵人方十騎計ニて、茂弾手へ可被差越候、彼口案内者之由候間、諸事可相談候、将又新田覚ニ候間、一勢可遣候由、茂弾被申候、大谷藤大郎遣候、猶沢弥 …
向佐貫敵動候処、不移時日被懸付、於宿城被走廻由候、肝要候、城内同心大切候、万事茂周被相談、堅固之備尤候、猶岩本可申越候、恐ゝ謹言、 卯月廿二日 氏康(花押) [宛名欠] →戦国遺文後北条氏編412「北条氏康書状」(千葉 …
両君御間儀、御無為奉歎候処、結句逐日増進様候、顕実・憲房間事、是又色ゝ様ゝ雖令教訓候、為事不成、剰鉢形三日不被相拘落居、言説不及候、只今極一身様候、万耄昧迄候、簡要憲房ニ被仰合候者、可為御本意候、此旨可令得尊意給候、恐惶 …