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タグ «書状写»

上杉顕定、佐竹右京大夫に、前年末に越後国衆進軍で降伏した上杉朝良の家督問題を報告する

去十五日簡札一昨日到着、具披閲、抑旧冬招越越州衆進発、然間、武相両州敵城、或自落、或攻落候之故、速静謐、依之懇切承候、快悦之至候、仍治部少輔朝良令隠遁、名代事彼家老者歎候間、言上之処、可被相任之段、被成御書候、如斯之上、 …

上杉顕定、大森式部大輔に、上杉定正・今川氏親・伊勢宗瑞との戦闘で、公方が発向したことを武田信虎へ伝えるよう依頼

先刻如啓候治部少輔并今川五郎・伊勢新九郎入道対陣、於軍者、可御心安候、既 公方様御発向之上者、不移時日、自身出陣候様、武田五郎方へ被届可然旨、遅々不可有曲候、巨細長尾右衛門尉可申述候、恐ゝ謹言、 九月廿五日  顕定(花押 …

佐竹義重、那須資胤に、白川氏との和睦を告げ、仲介した結城晴朝から諷諫があることを伝える

態申届候、抑晴朝以媒介、白川当方遂和睦候、如此之上、自御当方も白川へ被仰合可然候、依之及使者候、窮て如斯之意趣、自晴朝可有諷諫之条不能具候、恐々謹言、 霜月十三日  義重 那須殿 →「佐竹義重書状写」(下野那須郡寺子村農 …

簗田晴助、岡本禅哲に、栗橋に氏照が在城し関宿攻撃の風聞があることを伝える

急度令啓候、義重奥口御出馬之由、其聞候、誠以目出御肝要令存迄候、其以往之御様子承度候、仍自越府以蔵主御相談候、関東是非候条申迄者、雖無之候、年来之御首尾与云、今般之御稼ニ相極候、御当地不被入御念付而者、越山可為相違之由令 …

北条氏政、蘆名盛興に、下野出撃を告げ同時期に佐竹氏を攻めることを提案する

急度令啓候、抑已前度ゝ申達候、至野州口近日可致出張候、内ゝ以使、始中終所存雖申述度候、路次不自由之間、不及了簡候、願者至于中旬、向佐竹御出張所希候、若替儀有之者、重而可申入趣、委細弟候源三可申候、恐ゝ謹言、 三月廿二日 …