北条氏直、前田源六郎に、氏政上洛遅延にかかる秀吉の動向伝達に感謝する
飛札令披閲候、氏政上洛延引之儀、内証被申聞、喜悦之至ニ候、秀吉心底難量候上者、於氏政可為隔意候歟、猶期後慶時候、恐ゝ頓首、 十二月八日 氏直(花押) 前田源六郎殿 御宿所 →小田原市史1985「北条氏直書状写」(古文状) …
飛札令披閲候、氏政上洛延引之儀、内証被申聞、喜悦之至ニ候、秀吉心底難量候上者、於氏政可為隔意候歟、猶期後慶時候、恐ゝ頓首、 十二月八日 氏直(花押) 前田源六郎殿 御宿所 →小田原市史1985「北条氏直書状写」(古文状) …
廿二日之文、廿三[酉口]披見、普請積見届候、 一所ニこそより候物なれ、高山之上ニ付芝迄可致積ハ、何事ニ候哉、近比うつけたる致様ニ候、一井ツゝなとハ、時分時刻ニこそより候へ、来年しても来ゝ年しても不苦、井ツゝなとをふしんの …
彼てんちう事、たれ人承候とも、其方へふんとく申上、ゆめゝゝふさたあるましく候、恐ゝ謹言、 三月廿九日 茂呂右衛門佐(花押) そうとめねいの助殿 →戦国遺文 後北条氏編4232「茂呂某書状写」(井伊文書) あの『てんち …
去十五日簡札一昨日到着、具披閲、抑旧冬招越越州衆進発、然間、武相両州敵城、或自落、或攻落候之故、速静謐、依之懇切承候、快悦之至候、仍治部少輔朝良令隠遁、名代事彼家老者歎候間、言上之処、可被相任之段、被成御書候、如斯之上、 …
先刻如啓候治部少輔并今川五郎・伊勢新九郎入道対陣、於軍者、可御心安候、既 公方様御発向之上者、不移時日、自身出陣候様、武田五郎方へ被届可然旨、遅々不可有曲候、巨細長尾右衛門尉可申述候、恐ゝ謹言、 九月廿五日 顕定(花押 …
態申届候、抑晴朝以媒介、白川当方遂和睦候、如此之上、自御当方も白川へ被仰合可然候、依之及使者候、窮て如斯之意趣、自晴朝可有諷諫之条不能具候、恐々謹言、 霜月十三日 義重 那須殿 →「佐竹義重書状写」(下野那須郡寺子村農 …
此度高滝中書御帰路、幸存令啓進候、諷々も先年総州御陳已来不能面上候、追紙御床敷侭御上申迄候、一両年已前迄者くる里ニ御在候由其聞候き、然所ニ正大御懇細故其地へ御移之由、中書御伝何承届候、練々令帰も候、正大へハ於厩橋・臼井茂 …
急度令啓候、義重奥口御出馬之由、其聞候、誠以目出御肝要令存迄候、其以往之御様子承度候、仍自越府以蔵主御相談候、関東是非候条申迄者、雖無之候、年来之御首尾与云、今般之御稼ニ相極候、御当地不被入御念付而者、越山可為相違之由令 …
急度令啓候、抑已前度ゝ申達候、至野州口近日可致出張候、内ゝ以使、始中終所存雖申述度候、路次不自由之間、不及了簡候、願者至于中旬、向佐竹御出張所希候、若替儀有之者、重而可申入趣、委細弟候源三可申候、恐ゝ謹言、 三月廿二日 …
急度預御一翰御使ニ候、再三披見恐悦候、如来書、其以来遠境不自由故、絶音問候、仍去夏御息動之剋、御立遂面上本望候、尤於向後対御父子へ不可存疎隔意候、然而愚息左衛門大夫別而貴殿申合候由、連ゝ申事ニ候、愚老本望不過之候、扨又今 …