後北条氏、北条氏繁に、新田への救援で鉄砲衆5名を送るよう通達
新田へ鉄砲衆合力候、五挺可然放者可被申付候、明後可遣候、島津左衛門自馬廻遣候間、従者可同心旨可被申付候、掟従是委以書出可申付候、万端遣念可被申付候、仍如件、 五月十九日[虎印] 常陸守殿 →戦国遺文 後北条氏編 1911 …
新田へ鉄砲衆合力候、五挺可然放者可被申付候、明後可遣候、島津左衛門自馬廻遣候間、従者可同心旨可被申付候、掟従是委以書出可申付候、万端遣念可被申付候、仍如件、 五月十九日[虎印] 常陸守殿 →戦国遺文 後北条氏編 1911 …
追而、三ヶ条之儀、諸人之比量不可然候間、申事ニ候、併於何事も、連ゝ存分ニ可相極候、是ハ以他筆ヒソカニ書付候、仍如件、 [午]五月十三日 朱印 木呂子新左衛門殿 →戦国遺文 後北条氏編2340「上田長則朱印状写」(岡谷家 …
[前欠]所壱貫余為作用水も、無相違、何事も如先規両郷申合可致之旨、依仰状如件、 天正五年[丁丑]卯月十日[虎朱印] 評定衆 上野介 康定(花押) 小幡太郎左衛門尉殿 →小田原市史1244「北条家裁許朱印状写」(諸氏家蔵 …
茂呂御陣より罷越兵粮并馬のかいれう、其外かい取度由、いか様之手引頼候共、一駄ハ不及申、一俵なり共、不可出、若出候ハゝ、荷馬を取へし、此儀、松山根小屋之足かる衆心ニ入、見まハり、かたく可申付、但、陣衆へ者、一さい少之義なり …
金井但馬就捧訴状、沼上出羽守以相目安遂糾明畢、然而号沼上借米、小机一騎合之給米金井押取事、無是非曲事候、彼一騎合給拾弐俵、来十日を切而自金井前可請取旨、依仰状如件、 天正十二年[甲申]三月二日[虎朱印] 評定衆 下総守 …
年来無足ニ而令奉公之間、新田領石原郷之内貮拾貫文被下候、弥厳密ニ可走廻者也、仍如件、 天正十五年[丁亥]八月二日[虎朱印]海保新左衛門 奉之 岡本越前守殿 →群馬県史 「北条家朱印状写」(安得虎子) 何年も無足で奉公し …
伊東同心香坂甲斐衆、妻子不持間、当陣取遣候条、其地へ越候、当陣之間預ヶ申候、他国衆候間、能ゝ可有懇候、仍如件、 伊東 奉 巳 三月十三日 左衛門太夫殿 →小田原市史 史料編 中世2 小田原北条1「北条家虎朱印状写」(甲斐 …
信越川中嶋合戦之刻、北越之押抜群之事候間、依之永五拾貫文加増并腰刀一振被下置候条、被仰出候、仍而如件、 永禄四[辛酉]十月二日 中村大倉殿江 馬場美濃守 奉之 →神奈川県史 資料編3「武田家朱印状?写」(新編相模国風土記 …
今度敵陣往覆之者討留、荷物無際限押落由、忠節無比類候、度ゝ走廻段、感悦候、此度候間、弥無二ニ可走廻候、然者於如何様之儀も、望可申候、依所望可加扶助者也、以状如件、 [虎朱印] 三月廿日 小田野肥後守殿 同 新左衛門殿 …
定 一小田原請取之役所ニ可置者三人、此内壱人竹木以下可出入、手代之者二本鑓持之内、以上三人、諸色之武具如定可指置、此外十人参陣、一乍毎度之儀、参陣之者、弓一人無不足、兼日如定置厳密ニ相嗜、可致参陣事、一留主ニ置者之交名悉 …