今川氏真、穴山信君に、父信友への弔意を伝える
幡竜斎遠行、於氏真力落無是非候、仍為御吊定恵院越申候、随而香奠五千疋進之候、委細高井兵庫入道可申候、恐々謹言、 十二月廿三日 氏真(花押) 武田彦六郎殿 →静岡県史 資料編7「今川氏真書状写」(楓軒文書簒巻四十) 幡竜 …
幡竜斎遠行、於氏真力落無是非候、仍為御吊定恵院越申候、随而香奠五千疋進之候、委細高井兵庫入道可申候、恐々謹言、 十二月廿三日 氏真(花押) 武田彦六郎殿 →静岡県史 資料編7「今川氏真書状写」(楓軒文書簒巻四十) 幡竜 …
長沢城、三河被属御本意候間之儀、駿遠之人数一円ニ可被渡置之由申付而、御書申調進之候、誠々御神妙之至、不及是非候、雪斎其国事候条、諸事御談合尤候、猶期来音候、恐々謹言、 九月十六日 朝比奈左京亮 泰能 判 牧野田三郎殿 …
今度以忠信之儀、被出身血、無二可有御奉公之由御申、誠御勲功之至候、仍長沢之事、国一途之間者、駿遠御人数在城可被仰付由、是又別而御入魂御申、御祝着候、於静謐之上者、如先日御約諾可被渡置候、若又彼地始終御所望之儀候ハゝ、改替 …
就鵜津山縁辺之儀、八大夫方被差越候、因茲鵜津山江被成御奉書候、然者年内御祝言目出此事候、何様重御吉事可申入候、次長沢両人就御判形頂戴様躰承候、御状之趣、朝丹へ我等存分申、今日十四 御屋形被成御湯治候、被仰越候段者涯分可申 …
御同名八大夫殿御越候、委細承候、仍山田源助御判形給、御知行之内より万疋可請取之由被申候哉、愚僧事、就善得寺造営、昨日迄河原ニ候へハ、今朝承驚入候、殊山源五六日以前河原へ被越候間、其時ハ以別事対談候、此訴訟之事、愚僧ニ一言 …
先日預御状候、祝着至候、御書中趣具承届候、長沢両人従屋形判形被出置候段、蒙仰候、就其来春早々有御参府、様躰可有御申候由尤候、理非之段者可為明鏡候間、屋形ニも紛有間敷候条、可御心安候、涯分我等も存分可申候、朝丹御奏者成候間 …
糊付之御状披見、得心申候、同者此度討つふし候ニ極候、恐々謹言、 — 九月八日 氏直(花押) 安房守殿 →小田原市史「北条氏直書状写」(武蔵古文書一) 1588(天正16)年に比定。 糊で封印された書状を拝見 …
太神宮御祓之箱頂戴、目出度候、仍葛西庄御神領之由承候、至于可為如上代者、其類可多候、宜諸国之次候、伏所冀者、以 神慮、房総可令本意候、此願令成就者、新御神領可令寄進候、委細者、石巻父子可申上也、仍状如件、 二月廿七日 平 …
為竜王丸守衆、頭人申付之上者、毎事無疎略、可被馳走候、幼少守立事、其役可為苦労候、弥可励奉公者也、恐々謹言、 正月朔日 義元(花押) 三浦内匠助殿 →静岡県史「今川義元書状写」(尾張文書通覧) 竜王丸の守衆としてそのま …
従信州奥へ御移候由承、内々御床敷奉存候処、御使僧并御芳札苟以畏入候、特更種々贈被下候、是亦祝着令存候、如何様来春以使者万端可申伸候、来七日駿府へ罷越候、取乱之条、早々覃御報候、非無沙汰候、委曲令付与彼御使僧口上之由、可得 …