北条氏政、宇津木氏久が自陣営に加わったことを喜ぶ
安房守所江之注進状、令披見候、誠ニ戦功不浅次第、難述筆紙候、軈而以使可申候条、不具候、恐ゝ謹言、 五月二日 氏政(花押) 宇津木下総守殿 →「北条氏政書状」(大阪城天守閣所蔵宇津木文書) 1581(天正9)年に比定(花押 …
安房守所江之注進状、令披見候、誠ニ戦功不浅次第、難述筆紙候、軈而以使可申候条、不具候、恐ゝ謹言、 五月二日 氏政(花押) 宇津木下総守殿 →「北条氏政書状」(大阪城天守閣所蔵宇津木文書) 1581(天正9)年に比定(花押 …
江雪帰洛ニ付而、一筆令啓述候、去十九日御目見申候、種ゝ様ゝ御懇意之御諚共、誠過分忝候、毎度如申候、連ゝ御取成故ニ候、就中女房衆昨日罷着候、是又御肝煎故、旁参洛之上、会面を以可申宣候、恐ゝ謹言、 八月廿八日 見性斎 氏直( …
此間者、御物遠候間、内ゝ従此方可申入候由存候処、■給候、忝存候、仍小田原へハ、如何様之御番手候哉、模様無心元候、承度存候、当口替儀無之候、滝川ハ厩橋在城、万端可有御推量候、爰許ハ五日之内大普譜を存立候、其地も可為御同意歟 …
牧庵佐野へ御越ニ付而、道筋之儀、当領分御留申付候、其筋目候、一段申越候キ、定可参着候、然ニ従 屋形様如被仰越者、岩付通被仰付由候、左様ニ候得者、猶以無相違候、其方清戸迄案内者可申候、道之留之儀者、清戸迄之儀と先段申越候、 …
鷹之鶴初ニ候、浦山敷候、小田原へ則遣候、将又動之模様をハ、左馬助ニ委細書付渡候、三浦にて彼書付、其方可入披見候、両人を当所ニ致候、恐ゝ謹言、 九月廿七日 氏政(花押) 上総入道殿 →戦国遺文 後北条氏編 1875「北条氏 …
雖顕先書、猶遣飛脚候、椎津地之当番高城ニ候へ共、高城大手へ参陣之間、人衆可引由申付候、彼地へ相当程東金相談、自両所早ゝ先人衆を籠置、肝要候、恐ゝ謹言、 六月五日 氏政(花押) 酒井伯耆守■ →戦国遺文 後北条氏編 191 …
今度当表隙入ニ付而、榎本ニ以三百之人数在陣可走廻由、対陸奥守証文披見候、肝要至極候、先書当表参陣与申遣ハ、小官之申合不知以前ニ候、於何口之走廻も同前候、殊佐竹定而可出張間、城主近藤与相談、堅固之防戦専一候、恐ゝ謹言、 九 …
一、先河越・松山之立馬候、別ニ仕置とても有間敷候、沼田普請人数可遣、又厩橋此一二ケ城可申付、其外東表似合ゝゝ普請仕置等可申付候、此外指当用無之間、軈而可明隙候事、 一、豆州にて雑説申廻儀、竪可被申付、当時努自甲抜手致得間 …
長尾・成田・深谷各返答披見、何も下知之筋目相済間、尤候、 一、由良善筋へ及行、百余人討捕由、物始之仕合、誠肝要至極、心地好候、 一、満水推量候、曲時分之連雨、無是非候、乍去今日晴候間、此侭可属晴候歟、普請之儀、雖不及申候 …
急度申達候、然者氏政為麦秋之動出馬候、御一勢可被立進候、自拙者相心得可申達之由、内義被申越之間、以使申届候、御人衆有御遅ゝ者、無其曲候条、来五日其地を被打立候様、堅可被仰付事、専肝候、委曲口上ニ申含候、恐ゝ謹言、 陸奥守 …