月: 2008年9月

入海神社奉納者一覧

入海神社奉造立御神殿壱宇 檀那衆伍貫文 水野十郎左衛門信近 天文十三年甲辰十二月 二貫文 仙千代 五十疋 ■■■■ 伍十疋 源次郎 壱貫文 御亀様 同    水野甚十郎妙家 三十疋 水野甚十郎 二十匹 同母儀 三貫七百文 入海神社奉納者一覧

朝比奈元徳、判形を紛失した件で小嶋源一郎の牛久保来訪を求める

急度申候、仍去年者早々御下共候、然者貴所去年被御申請候御判形、又者先御判形も申掠られ候か、左様之段丹波方被申越候間、牛窪へ御越候而、其御断被仰候而肝要ニ存候、若無御出候而者、重而被申様候ヘハ、貴所御ため如何ニと存候間、早 朝比奈元徳、判形を紛失した件で小嶋源一郎の牛久保来訪を求める

北条氏綱、奥平九七郎に遠江国で500貫文の土地を約束する

遠州本意之上、於彼国五百貫文之地可進置候、然者井伊與有御談合、早ゝ御行簡要候、巨細使者可申候、恐々謹言、 三月廿九日 北条 氏綱判 奥平九七郎殿       御宿所 →戦国遺文 今川氏編「北条氏綱書状写」(東京大学総合図 北条氏綱、奥平九七郎に遠江国で500貫文の土地を約束する

武田勝頼、栗原伊豆守に沓屋大方の死去を伝え情報提供を指示する

就沓屋之大方死■■御書中候、則御陣下へ進上申候、将又先日之以後、御陣之模様、珍説無之候条、不申入候、重而御左右候者、自是可令申候、其境目珍敷子細候者、御注進尤候、恐々謹言、 三月廿九日  四郎 勝頼(花押) 栗原伊豆殿 武田勝頼、栗原伊豆守に沓屋大方の死去を伝え情報提供を指示する

木曾義昌、甲府陣所に阿寺方面へ国中衆が出撃したことを報告

急度捧愚書候、仍明智・櫛原之属御存分由目出度奉存候、右意趣以使者申上処、安点良表江国中衆出勢与相見候、当陣間近候之条、用心等無油断儘、先以飛却言上候、其表之御備具披露御報可畏入候、恐惶謹言、 二月十日 木曾義昌 甲府御陣 木曾義昌、甲府陣所に阿寺方面へ国中衆が出撃したことを報告

万里小路輔房、武田晴信に文永・安養寺復興の綸旨を通達する

(包紙うわ書) 「綸旨 弘治四・正・十一信州両寺事」 信州伊那郡文永・安養両寺事、 後花園院御宇、依御尊敬異于他、被定置理性院末寺訖、彼流或加太元修法役者、或為真言瀉瓶門弟、奉祈宝祚長久、国家栄平之処、今般既及退転之由、 万里小路輔房、武田晴信に文永・安養寺復興の綸旨を通達する