去十三日、信玄至于府中、不虞乱入、味方失利間、不之〓(繞+台)力、至于懸川之地立馬、先年其国申談候処、甲州横合故、大途伐組模様ニ候、前ゝ之筋目与云、御入魂候者、可為本望候、然者相州追而被仰談所希候、定而氏康父子可被申届候之条、不能具候、何様以使僧可申届候、恐々謹言
十二月廿五日
上総介氏真(花押)
上椙弾正少弼殿
→戦国遺文 今川氏編2218「今川氏真書状写」(別本歴代古案十四)
1568(永禄11)年に比定。
さる13日に武田晴信が駿府に来て、恐れもなく乱入しました。味方は利を失って力及ばず、掛川の地に馬を立てました。先年あなたの国とご相談していたところ、武田氏の横合いで『大途伐組』という状況になりました。以前からの筋目から、親しくしていただければ本望です。北条氏も追ってご相談を打診します。氏康父子がご連絡することは詳しくは申せません。諸々は使いの僧から申し届けます。
其国・・・遠州 では?
横合・・・横槍 では?
大途・・・北条氏康 では?
伐組・・・協力して戦う では?
コメントありがとうございます。
「其国」を「貴国」と解釈したのは、草書体だと「貴」「其」が類似していることと、https://old.rek.jp/?p=1678やhttps://old.rek.jp/?p=1679、https://old.rek.jp/?p=1680によって、当時今川氏が上杉氏と修好していたことが判明しているためです。この修好を武田氏が攻撃理由にしていますから、貴国=越後で筋は通ります。遠江国との関係に武田氏が介入したという史料はないので、お考えには首肯できません。
「横合」は『申談処』という行為に対して行なわれた外交行為だと思いますので、軍事用語の「横槍」と読み替えないほうが意図としては正しいと思います。
『大途伐組』は、文脈から考えて武田氏の駿河侵攻の状況を指すでしょう。別字の読み違いだと思いますが、候補が思い浮かびませんでした。ただ、『大途』は後北条家中で使われれば当主を指しますが、他家では使われません。この文書の後段で『氏康父子』と書いていますから、ここだけ『大途』と書くのもおかしい気がします。『伐組』も見たことのない用語なので、前文同様の読み違いだと考えています。