(包紙うわ書)
「綸旨 弘治四・正・十一信州両寺事」
信州伊那郡文永・安養両寺事、
後花園院御宇、依御尊敬異于他、被定置理性院末寺訖、彼流或加太元修法役者、或為真言瀉瓶門弟、奉祈宝祚長久、国家栄平之処、今般既及退転之由、所被驚天聴也、早返付本寺、云勤行云法流、再興之儀被成下知者、尤可為神妙旨、天気所候也、執達如件、
正月十一日
右中弁輔房
武田大膳大夫殿
→戦国遺文 武田氏編「正親町天皇綸旨写」(飯田市・文永寺文書)
後花園院の御宇、ご尊敬によって他と異なり、理性院の末寺まで定め置かれている。あの流儀は、あるいは太元修法役者を加え、あるいは真言の瀉瓶門弟となし、宝祚の長久と国家栄平をご祈願されているものだ。現在は既に退去しているということで、天皇に報告したところ驚かれている。早く本寺に返却し、勤行や法流の再興を指示させるように。最優先で行なうよう天皇の意向である。