我流稗史

検証a27:松平蔵人佐の血脈

 西三河最大の国人で、安心軒とともに三河国宗主権を保持していたと思われる「松平蔵人佐」について、記載文書を抽出してみた。 A:1523(大永3)年~1526(大永6)年9月 松平一門・家臣奉加帳写 「弐千疋 松平蔵人佐  検証a27:松平蔵人佐の血脈

検証a24:岡崎の帰属

 主に今川氏から見た『岡崎』の帰属について列挙。天文後半から永禄初頭までをまとめたが、その動向は一定ではない。 1548(天文17)年3月11日 不明 織田方に攻囲・接収? 仍三州之儀、駿州無相談、去年向彼国之起軍、安城 検証a24:岡崎の帰属

検証a23:奥三河の拠点位置関係

より大きな地図で 奥三河関係図 を表示 青ポイント 今川方 水色ポイント 武田方 緑ポイント 遠山・広瀬・鱸の各氏 黄色 帰属不明

検証a21:小豆坂合戦の趨勢

 小豆坂合戦は1548(天文17)年3月19日に行なわれたことが確認できるが、松井惣左衛門宛の義元感状を見ると 「於西三河小豆坂尾州馳合、最前入馬尽粉骨、宗信同前為殿之条」 (西三河小豆坂において尾張方と戦闘し、前線に馬 検証a21:小豆坂合戦の趨勢

検証a20:丹羽氏の帰属

 アップした関連古文書に丹羽氏は3名登場する。 01)1525(大永5)年 水野氏被官の丹羽五郎左衛門(楞厳寺寄進状) 02)1550(天文19)年 今川氏被官の丹羽隼人佐(今川義元判物) 03)1553(天文22)年  検証a20:丹羽氏の帰属