我流稗史

椙山陣考-2 『相守文書』

「椙山之陣」文書は、当初見慣れない書式だった。 私は今川・後北条の文書は少しばかり読んでいるが、古河公方については義氏のものを何通か解釈しただけである。それにつけても、懸案の文書は少し短過ぎて異常に感じられる。 椙山之陣 椙山陣考-2 『相守文書』

検証a30:鳴海原の位置比定

以前のエントリで取り上げたように、今川義元が討ち死にした「鳴海原」は、相原郷ではないかと推定している。『角川地名辞典』によると、以下の記述がある。 あいはら;地名の古鳴海(鳴海村枝村)と沓掛山二村山(現豊明市)の中間に位 検証a30:鳴海原の位置比定

検証a28:安心軒と武衛

天文年間に三河国で散見される『安心』という人物について、その出自を考慮していた。到底判らないものと諦めていたが、ついに知見を得たのでここに記しておく。 ■安心軒の俗名  2次史料ではあるものの、そのものずばりの名前が出て 検証a28:安心軒と武衛