北条氏政、武田氏に、下総臼井への陣寄せを急がせる
急度申届候、仍一昨廿三、攻臼井敵数千人手負死人出来、註進状為御披見進之候、如此者敗北必定候、一日も早ゝ御陣寄専一候、従城中之使如口上者、手負死人故、房州衆■井陣者悉明、廿三之晩景越衆少ゝ相移之由申候、以爰可有御校量候、委 …
急度申届候、仍一昨廿三、攻臼井敵数千人手負死人出来、註進状為御披見進之候、如此者敗北必定候、一日も早ゝ御陣寄専一候、従城中之使如口上者、手負死人故、房州衆■井陣者悉明、廿三之晩景越衆少ゝ相移之由申候、以爰可有御校量候、委 …
葛西へ敵動ニ付而、新六郎敵陣へ移由候、家中儀一段無心元候、寄子・加世者事不及申、中間・小者迄相改、葛西へ不紛入様可申付候、若又其地江敵動候者、為始両人悉妻子を孫二郎ニ相渡、中城江入候て、可走廻候、先忠此時候、恐々謹言、 …
十日之註進状、今日十一[酉刻]到来、仍当口之様躰度ゝ申届候、不参着候哉、唐貝山責落、則当地高坂へ寄陣就而、秩父郡日尾之城南図書乗取、属味方候、依之、人数を分、荒○を打越成働処、天神山自落、彼谷之事、一返属本意候、其外討儀 …
去五日[未刻]、於常州大嶋台遂一戦、得勝利、敵千余人討捕候、不思議之仕合、満足大慶、可為御同意候与令推察候、不慮之合戦故、惣手者不合候、遠山・太田美濃守・結城衆以三手切勝候、恐々謹言、 卯月八日 正木弥五郎殿 同 源七郎 …
「(モト懸紙ウハ書)武田伊豆守 義元」 連々無御等閑毎時御馳走、誠御入魂異于他候之間、於当国山西壱所号岡田地[近年三条殿所務分]進之候、雖些少之儀候、御志計候、弥於無御疎略者本望候、恐々謹言、 六月十九日 義元(花押影) …
廿五日御状、廿八日未剋到着候、本納外曲輪敵乗取由注進候間、則氏政致出馬処、敵退散由方ゝ申来候、先以延引候、今度[則]刻有御出陣、後詰ノ行御催由辱候、息助五郎始遠山以下至船橋打出候間、乍定可申入候、何様自是可申入候、恐々謹 …
越国衆出張之由候、此度抽忠信肝要候、然者、為証人、実子倉賀野へ可被越候、恐々謹言、 九月十五日 氏政(花押) 浦野中務丞殿 →小田原市史 史料編 中世2 小田原北条1「北条氏政書状写」(新編会津風土記六) 1560(永禄 …
尚以、被対公儀可有御忠節之由、被相定候上者、私之意趣不入事候、其方次第警固船等之儀可申付候、先度被相越候使者、此方へ可給候、内証之儀可申入候、以上、 其方御覚悟、此比相違之儀、御同彦次郎被申越付而承届候、内証之趣、国分 …
不思議之世上故、当国打越候、然処、爰元相調候間、近日上州可打入候、長尾弾正少弼有談合、一途可被稼候、将又為祝太刀一腰并鳥目如書中給候、怡悦候、随而太刀一進之候、恐々謹言、 七月三日 成悦(花押) 平子孫太郎殿 →群馬県史 …
尚以、急度御入洛義御馳走肝要候、委細為 上意、可被仰出候条、不能巨細候、 如仰未通候処ニ、 上意馳走被申付而示給、快然候、然而 御入洛事、即御請申上候、被得其意、御馳走肝要候事、 一、其国儀、可有御入魂旨、珍重候、弥被得 …