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北条氏政、武田氏に、下総臼井への陣寄せを急がせる

急度申届候、仍一昨廿三、攻臼井敵数千人手負死人出来、註進状為御披見進之候、如此者敗北必定候、一日も早ゝ御陣寄専一候、従城中之使如口上者、手負死人故、房州衆■井陣者悉明、廿三之晩景越衆少ゝ相移之由申候、以爰可有御校量候、委細安伊可申候、恐々謹言、

三月廿五日

氏政(花押)

武田殿

→小田原市史 資料編 小田原北条1「北条氏政書状写」(諸州古文書十四)

1566(永禄9)年に比定。安伊は安西伊賀守。

 取り急ぎ申し届けます。一昨日の23日、臼井を攻めた敵数千人に死傷者が出ました。報告書をお見せするため添付します。この分では敗北は決定的です。1日も早く陣を寄せることに専念して下さい。城中からの使者によると、死傷者が出たので房州衆の酒井陣はことごとく空いてしまい、23日の晩に越後衆が少し移ってきたとのことです。これによってご推察下さい。詳細は安西伊賀守に申しています。

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