今度阿形岩江相働、敵金田妙嘉之介討取、働無非類之由、嘉悦之至候、依之、廿壱貫三百五拾文、野上用土分・新井共ニ為合力之間、慥ニ請取、向後弥可抽忠信者也、仍如件、
午
八月廿一日
山崎弥三郎殿
→戦国遺文 後北条氏編2398「北条氏邦朱印状写」(新編武蔵国風土記稿秩父郡六
天正10年に比定。
この度阿形岩へ出撃し、敵の金田妙嘉之介を討ち取り、戦果が比類なかったこと、嘉悦の至りです。これにより、21貫350文・野上用土分を、新井と共に力を合わせたので受け取るように。今後はますます忠信にぬきんでるよう。
私の父(山﨑久雄)現在92歳です。山﨑弥三郎の子孫と父から聞いております。
14代かと思いますが、父の祖父が弥三郎の名前をいただいたようです。
鉢形城において家老職についていたそうですが、私の祖父が次男であったため分家しましたので定かではありません。
コメントありがとうございます。弥三郎家のお名前が今も家系として存在しているのに驚きました。貴重な情報ありがとうございます。津久井の大工棟梁にも山崎氏がいますね。推測ですが、秩父と津久井で林業つながりがあったかも知れません。これからもお気づきの点などお寄せいただけますと幸いです。