両通昨十日[申刻]参着、再往再返披見、先以肝要至極候、信州作郡之面ゝ、弥忠信を存言、重証人進候歟、依之真田江集候人衆も、引散由専一候、子細者如何共候へ、是非之弓矢之際候間、未来之不及勘、速可取成所、千言万句ニ候、倉内表・岩ひつ表・寄居之事、無余儀分別申候模様を者、始而承届候、是又何分ニ成共、以衆儀能ゝニ糺明、当陣之吉事ニさへ成候者、抛未来之徳失、御取成専一候、尤如書面、譜代相伝之地ニ候共、当家滅亡ニ者、争可替候、塩味之前ニ候間、不及申立候、 一、真田模様、是又得心申候、右ニ如申、当陣之無異儀、専ニさへ成候者、未来之儀をハ不及勘候、 一、小幡判形調法、遂出仕、其上能御取成之由、令満足候、此度候間、何分ニも抛名利共ニ、為国家与無内外御走廻尤候、国家無相違候ヘハ、旁者其ニ隨、何程成共名利可立事、勿論之事ニ候、如何ニ当意結構からせ候共、国滅亡候へハ、旁者其ニ不隨而不叶候、不及申候、 一、佐竹出張向館林動候、無衆ニ候宇野磯なと、為懸飛脚以下之事者不及申、由良・長尾堅固之防戦候、可御心易候、 一、礼物之儀ニ付而、始中終之書立、能ゝ見届得心申候、我ゝ者不是耳、兄弟之因与云、又為国与云、自余之者ニ者可替候、入耳儀をハ何ケ度も可申候、又由断候へ者、下ゝ之者、無届耳ニ候条申事候、始中終心得申候、肝要至極ニ候、恐ゝ謹言、
十月十一日
氏政(花押)
安房守殿
→戦国遺文 後北条氏編2430「北条氏政書状」(金室道保氏所蔵文書)
天正10年に比定。
両方の書状は昨日10日申刻に到着し、再々拝読しました。まずもって肝要しごくです。信濃国佐久郡の面々がますます忠信を申し出て更に人質を出しているでしょうか。これによって真田へ集まった国衆も散っていく事が専一です。詳細はどのようであれ、存亡を賭けた決戦ですから、後先など考えず、すぐさま交渉するところ、千言万句です。倉内方面、岩櫃方面、寄居の事、余儀なく判断している状況を、初めて受け取って届けます。これまたどのような事でも衆議にかけてよくよく糾明し、この作戦によい方向にさえなるなら、先々の損得を投げ打って、取りまとめるのが専一です。もっとも書面のように、譜代相伝の地だったとしても、当家滅亡と替えられるものではありません。検討する以前の問題なので、こちらに確認するまでもありません。一、真田の状況、こちらも承知しました。右に言った通り、この作戦に異議なく専念するなら、未来の事は考える必要がありません。一、小幡が判形を整えて遂に出仕。その上よくお取り成しのこと、満足しています。この度の事ですから、名利はどうとでも投げ打ってでも、国家のためにと内に外に走廻るのがよい事です。国家に相違がなければ、皆がそのままどうとでも名利を立てられるだろう事、勿論の事です。直近でいかに結構な事があっても、国家が滅亡すれば、皆はどうにもならず何も叶わないでしょう。言うまでもありません。一、佐竹が出撃して館林に向かいました。無勢で宇野・磯などが飛脚を出した事は言うまでもありません。由良・長尾が手堅い防戦をしていますから、ご安心下さい。一、礼物については、最初から最後まで書き出して、よくよく確認して得心なさるよう。我々はこの限りではなく、兄弟の因果といい、国家のためといい、他の者に替えがたいでしょうから、耳に入る事は何度でも言うでしょう。油断してしまえば、下々の者は直接届けないでしょうから言っておきます。全てを心得する事が肝要しごくです。