其手之模様注進遅ゝ間、機遣候キ、江雪所へ之状、具ニ見届候、然者大事之様子、七日ニ箕輪原へ陣寄以来、一切無是非候、不審千万ニ候、至于対陣ハ、別ニ勘も無之候間、能ゝ模様見聞之上、遂出馬、甲州へ打入外有間敷候、不然ハ於彼表之対陣之落着、別ニ可如何候、其元弥被改人衆専一ニ候、若今度之無仕合ニ、道具なと不足之模様有之ハ、無用捨書立、可被越候、於当地調可越候、万端弥無油断入精、可被走廻候、恐ゝ謹言、

八月十六日

氏政(花押)

太田備中守殿

春日下総守殿

→戦国遺文 後北条氏編2393「北条氏政書状」(西村光〓[臣+矢]氏所蔵文書)

天正10年に比定。

 そちら方面の状況報告が遅れていたので気がかりに思っていました。江雪斎宛ての書状、詳しく拝見しました。ということで戦況ですが、7日に箕輪原へ陣を寄せて以来、一切連絡がありません。不審千万なことです。対陣に至っては特に考えもありませんので、じっくり状況を見聞した上で出馬し、甲斐国へ侵攻するほかありません。さもなくばあの方面での対陣の収拾はどうするのでしょう。そちらではますます部隊の確保に専念して、もし今回の準備不足で装備などが不足しているようでしたら、遠慮なく書き出して送って下さい。こちらで揃えてお送りしましょう。全てにわたって油断なく集中して、活躍なさいますように。

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